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600 名前: 599の続き 投稿日: 2000/07/31(月) 11:59
Q.第二次世界大戦はあなたの人生にどんな影響を与えましたか?

崔.大戦はいろいろな意味で変化をもたらせました。先生と私は、家のそばの山中に隠れていた脱走兵を無傷で捕らえて当局に引き渡したことで、軍のための仕事をしていました。もっとも大きな変化は終戦の直前に起きました。日本は敗色が濃くなりつつあり、最後の絶望的な一手として政府は当時の著名な武術家を集めて特別部隊を編成しました。武術の達人たちは特殊ゲリラ部隊として戦地に投入されました。大東流では武田惣角先生と私を除いてほとんどが最後の戦いで戦死しました。

Q.なぜあなたは他の弟子たちとともに徴兵されなかったのですか?

崔.私は志願していたのですが武田惣角に留められました。彼の地位と影響力によって私は外科病院に入院させられたのです。それで徴兵されて特殊部隊に入ることも無かったのです。私が戦死すると大東流合気柔術は武田惣角の死とともに途絶えてしまうので、彼は私を戦地に行かさなかったのです。

Q.あなたが惣角から教えを受けた技数はいくつでしたか?

崔.3808です。

Q.他にそれを習得した人はいませんでしたか?

崔.彼は死ぬ間際、私が彼の秘技のすべてを伝えたただ一人の弟子であると知らせました。

Q.武田惣角の臨終はどのようなものでしたか?

崔.彼は食を絶って命を絶ちました。

Q.どうしてそんなことをしたのですか?

崔.日本はそれ以前戦争に負けたことがありません。連合軍によって日本が負けることに、彼は先祖に申し訳が立たないと強く恥じていました。指導者として彼はこの敗戦に大きな責任を感じていました。この強い感情のために彼は名誉ある死を選んだのです。

Q.武田惣角は死ぬ前に遺言を残しませんでしたか?

崔.彼は私に別れの言葉を行った後、私がずっと韓国へ帰りたがっていたことに言い及び、韓国へ帰るよう言いました。私が彼の家族であり、また私が韓国人であるという理由で、もしも私が日本に残って彼の死後、大東流を継ぐと、(日本人に)暗殺される恐れがあるからです。

Q.あなたはいつ韓国へ帰りましたか?

崔.私は惣角の死後、ただちに家族を連れて帰りました。

Q.韓国ではどこに落ち着きましたか?

崔.私たちは慶北地方の大邱に居を構えました。ここに最初の道場を開きました。名を崔龍述に戻し、私の武術にハプキド(合気道)と名付けました。



601 名前: 599 投稿日: 2000/07/31(月) 12:09
599、600の「おかしい」ポイント

1.外国人の子供がどうやって一人で門司から大阪へ行ったのだろう。旅費はどうしたの?
2.戦いとか武人の絵を飾っている寺って?そんなの聞いたことありえる?
3.養子になってなんで吉田姓なんだ?

いちおう事実として
武田惣角の死因は脳溢血。客地の青森で臨終を看取ったのは山本角義。大東流を継いだのは戦地に行っていた息子の武田時宗。
惣角は1920年頃から家族とともに北海道白滝の家に住んでいた。
吉田朝男という教授代理は存在してない。ハワイ演武なるものは確認されていない。記録もない。



602 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/31(月) 12:22
アメリカで出されている「花郎道」のビデオを入手しました。ハプキドから派生した新武道のようです。
より空手に近くなったもののようです。技の中には芦原英幸考案のサバキのパクリもありましたが、
見ようみまねであるから、ポイントも外れてるし、意味もない動きが多いです。
もうひとつアメリカから「国術院」のビデオと書籍も入手しました。これもハプキドの派生流派で本部を
メリカにおいているようです。こちらは剣術も含んでいるのですが、こんなに意味もなくくるくる
回ってどうする、小手を打たれて終わり、ってな感じのものです。


603 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/31(月) 12:34
599,600についてですが、実は他にも崔龍述の話が載っている
ものがあるのですが、詳細がまったく違うのです。従軍慰安婦を名乗り
でた金学順の証言も言うたびに中身がくるくる変わっていくものでしたが、それに
似ております。
「日本人に誘拐された」話もあれば、「家が貧しく余裕が無かったので
預けられた」「夫婦で誘拐してきて、誘拐してきたろうと通行人に咎め
られた」など、さまざまです。職業もここではアメ屋の主人ですが、他
のものはアメ工場の経営者です。
武田惣角や大東流に関しては事実と異なる話があまりに多すぎます。


604 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/31(月) 12:45
>>602
花郎道って太手道とか忍術擬きとか色々手広くやってるみたいだけど。。
ビデオといえば、海東剣道からこんなんが。。。いやな予感がする。Haedong Kumdo: Korean Sword Art
http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/1880336197/o/qid=965009223/sr=8-1/ref=aps_sr_v_1_1/002-4958184-7344822
Video Description
While the popular Korean martial arts like taekwondo and tang soo do
have spread around the world, generations of warriors have quietly
practiced more traditional Korean Combat arts, preserving centuries
old techniques in virtual secrecy. Now, you can discover what few
people outside of Korea know-the rich tradition of Korean warrior
arts like ssireum, kumdo and archery. ......
Martial Arts Video Reviews, May 1999
I don't know about you, but when I think of the martial arts and swords
I think of the Japanese Samurai first, Japanese Ninjas, then the Chinese.
I often wondered if their was anyone else to add to the list. Now, after
seeing this video, you can definitely add the Korean's. Honestly, that
surprised me. After years of doing TKD, with several different
instructors, never did any of them mention that the Korean's had a sword
art. I guess every now and then, even those of us who've had 20 years
in various arts, learn something new!


605 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/31(月) 13:07
>>593
> 最近なんとなく惰性になりつつある。怒りや情熱みたいなものが無く
>なってきた。それは慣れたというより、剣道の起源が日本であるとい
>う事が歴史的理論的に自分の心の中で収まってきたからだと思う。
そうですねえ、私はまだしつこくここにカキコし続けてるけど、調べる
こと自体が面白くなってしまって、手段が目的に転化してしまいました。
>>599
>「在日=白丁か否か?」問題は、図書館や大学などで本や論文の形で
>目にする可能性はまだ存在するが、剣道問題に関しては、文字通り、
>日本国内ではこの2ちゃんねるのこのスレッド以外では知ることすら
>できないというのに。
いずれはこのスレもすたれてしまうだろうけど、なんとか別の形に残し
たいですね。従軍慰安婦とかと比べたら「つまらない問題」かもしれな
いが、根は同じと思うから、やりつづけなきゃね。

>>598の追加(とても一人じゃ読み切れない)
Japanese Samurai History Forum
http://www.delphi.com/samuraihistory/start/
LINKS
http://www.techjapanese.com/~samurai/links.html
DISCUSSIONS
http://www.japan-guide.com/forum/disdisplay.hts
おまけ(未出と思うので)
日本刀銘文データベース(懇切丁寧)
http://www2d.biglobe.ne.jp/~yamaka/


606 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/31(月) 13:09
>>599じゃなかった>>594


607 名前: 誰かHP作ってくれー@名無しさん 投稿日: 2000/07/31(月) 23:14
>>595-597
紹介されたサイトの制作者です。
指名されたのは光栄だけど、サイトの更新のために本を読んで
資料集めをしているので時間がないです。もうしわけない。
俺も剣道スレを誰かまとめてくれないかなあと思っていました。

>自分HPの事よく知らないんですけどね。
HPの制作は難しくないですよ。俺のサイト見てください。(汗
俺の使ってるソフトはIBMのホームページ・ビルダー2001
だけどワープロ感覚でつくれますよ。
知ってたらごめんだけどWINDOWS98なら
プログラム>Internet Explorer > FrontPage Express
という簡易ソフトがあります。
GeoCitiesなら無料でホームページがもてますよ。




608 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 00:18
韓国でのブラジリアン柔術の評価は?
どうなっているのだろう?
ブラジリアン柔術は日本人の前田光世がブラジルでグレーシー一族に講道館柔道
を柔術として伝えたことが起源だが、まさかブラジリアン柔術のルーツも我が国
のものとか言っているのだろうか?


609 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 02:36
CSのテレビで女の子がアメリカのモンタナ州を訪れる番組があった。
その女の子は空手の経験があるのだが、旅の途中に道場があるのを発見。
その道場の中は畳が敷かれてるが、なぜか壁には太極旗。
でも実際は日本の武術のパクり。
気付かない内に浸透していってるのではないかと、本当に心配だ。




610 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 03:09
>>608
>まさかブラジリアン柔術のルーツも我が国のものとか言っているのだろうか?
花郎道がそう言ってるよ。>>581
However, the
Jujitsu that has become poular in present times is called BRAZILIAN
Jujitsu and is mostly focused on grappling and ground locks. All of
these Japanese soft style skills share many similarities with the soft
style "Yusool" skills of the ancient secret combat skills of the Hwarang
which are called "Um Yang Kwon " (Yusool-soft skills and Kangsool-hard
skills). Because of these many similarities and the meaning of the
founder's name, it is thought that Jujitsu's roots lie in the Hwarang
tradition of Korea.


611 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 03:46
やはりホームページを作成するぐらいではインパクトは弱いと思う。

「ナンバー」あたりが韓国武道(笑)を特集でもした時にでも、記事を
大々的にとまでは言わないが、載せたりとかしてくれないだろうか。


「迷走する韓国武道−−−『光復』後に広まった格闘技の歴史が
二千年分捏造されるまで」

とかね。欧米にも取材して。


612 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 04:54
http://japanesesword.homestead.com/files/nihonto.htm
http://www.uni-ulm.de/~s_tgantn/aikido/text/node2.html
"Japanese 'legend' says that the gifted sword maker Amakuni
was the one to develop the classically styled Japanese sword.
Long, single edged and curved with a two handed grip. Amakuni
is thought to have lived in about 720 AD. Prior to this time,
the swords were developed from copies of Chinese and Korean designs." --

sanming leeもここから引用してたんだ。
日本文化のサイトにも侵入してたんだね。
都合のいい情報だけ持ち出すと。
Straight, single or double edged, and usually two handed grips.
後に続くけど、two handed grips.は間違いじゃないの?


613 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 04:54
>>607
この剣道スレをまとめるのはとてもじゃないが個人の片手間でできるよ
うなものじゃないですよね。今度、そちらの『大日本史番外編朝鮮の巻』
を更新される際に、リンク集なんか作ってこちらにでもリンク張ってもら
えるとありがたいのですが、もちろん、手前勝ってなお願いなのは重々承
知してます。ちょっと、まとめてみました。
●バトルウォッチャー特集■【国際バトル】剣道の起源は韓国にあり! ■
http://bn.lib2.com/backnumber/body.cgi?id=200005302320000000025580000
●新・剣道の起源は韓国にあり!(新スレ)
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=korea&key=961695039
●剣道の起源は韓国にあり!(旧スレ)
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=korea&key=954056767
●剣道は韓国で生まれたスポーツです@格闘技板
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=k1&key=953822412
●剣道の起源は韓国にあり@日本史板
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=954101177
●日本刀は欠陥兵器らしいが@日本史板
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=958776300
●韓国側文献資料>>569
武備誌(1621年)MooBeeJee /茅元儀、その他>>45(44を訂正)
●本国剣法(新羅)と朝鮮勢法(李朝)
本国剣法pictures
http://www.kumdo.com/kumdo/bongook_gumbup.htm
本国剣法moving pictures
http://linet.kyunghee.ac.kr/~khkumdo/movie/Bonkug~2.rm
本国剣法MPEG、視聴報告>>50
http://www.kumdo.org/Mpeg/bonkuk/bonkuk_step.mpg
朝鮮勢法MPEG、視聴報告>>59
http://www.kumdo.org/Mpeg/chosun/chosun.mpg
●またかい
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=korea&key=953383231


614 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 05:09
>>612
>Straight, single or double edged, and usually two handed grips.
THE JAPANESE SWORD INDEXのリンクするサイトは全部は見たわけじゃないが、
結構優良なとこがおおいとおもうけど、上のサイトの断定はちょっといただけ
ないよね。Amakuniのグリップは両手で握れるだけの長さがあるのかなあ?
しかし両手剣法の文献なり絵巻ものなりの初出のいつなのか。



615 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 05:20
http://member.nifty.ne.jp/GOGO-DAIGO/top.html
http://member.nifty.ne.jp/GOGO-DAIGO/keizu.html
源義光は嘘八百として武田惣右衛門とか実在したのですかね。
したとしてもこれは惣角のただの父親では?彼が大東流柔術をやっていた証拠は?

日本には骨法という武術があって、その人の御父さんも骨法の達人で東条英樹のボ
ディーガードをやっていたと耳にした事はありますが、その*類*の話じゃないで
しょうか?


大東流の長い系図があってしかるべきですが。秘伝書とかね。


武田信玄は源氏だったらしいです。だからこの武田惣角も源氏の末裔と言いたい
のかな。仮に源義光の末裔だとして、源義光が柔術をやっていたという証拠には
全然なりません。

柔術というのは剣術の補助的なものだったと聞いた事があります。だから一刀流や
直真影流は剣術という事でリアリティーがありますね。

嘉納治五郎が柔道を創始する際に、大東流を参考にしたんでしょーか?

武田惣角は日本の伝統武術を受け継いだ上で新しい武術を作った。しかし大東流の
歴史は捏造である・・・これでいいのですかね。


616 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 05:30
大東流にしろ、花郎道にしろ怪しげなルーツをでっちあげずとも、
色々参考にして新たな格闘技を創出したとジークンドみたいに言えば
いいのに。権威付けや精神的バックボーンがそんなに必要なのかなあ。
世界中が太古からやってきた格闘家、武道家の精神は共通なものがあり
自派にもそれがある、という程度じゃ満足できないのものなのか。


617 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 05:36
>>599
>>600
結局死人に口無しという事かな。
崔龍述が武田惣角に師事していた時期がある・・・・これは幾らなんでも
本当なのですかね。武田惣角が死んでいるとしても、生き残ってる
知己のある人達や武田などの著書を紐解けば崔龍述がいかに大東流に
関わっていたか分りますよね。

ライバル?団体の大東流のハプキドや崔に対する意見が知れると良いな。

>また私が韓国人であるという理由で、もしも私が日本に残って彼の死後、
>大東流を継ぐと、(日本人に)暗殺される恐れがあるからです。
これなんかモロ嘘っぽい(笑)合気道と名乗ってるんだから、寧ろ植芝とか
と付き合いがあったのかも。

http://member.nifty.ne.jp/GOGO-DAIGO/top.html
ここからだと、どこから崔のインタビューに飛べるの?

テコンドウも極真も崔ですね。偶然にも。





618 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 05:40
知己のある人達・・・知己だけで良かった。


619 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 06:15
嘉納治五郎は起倒流で投げ技、天真真楊流から固め技
などを学んだらしい。
古流柔術に大東流なんて出てきませんね。
柔術という言葉や流名が使われ出したのも、どうも応仁の乱以降
みたいです。著しく発達したのも。

柔術も剣術も元は同じなのだから侍の真似事するなら両方やるべき
ものなのかも。剣道協会も分ったような口はきけないかもね。
花朗道は昔の剣術の真似事をやろうとしてるんだね(笑)

骨法も大東流もそんなに変らない気がしてきたよ。骨法の方が
悪質ってだけで、大東流だって今のような厳しい時代だったら
多分普及しなかったんじゃないだろうか?骨法の方も大東流を
やっていたんじゃなかったっけ?

パクッテからフィードバックって言うのは骨法も大東流もクムドも
花朗道も同じですね。一番マトモなのが大東流という事かな。

武田氏に関しては源義光の子善清が祖なんだって。善清の孫、信善から
武田を名乗り出した。
直系中の直系武田信玄は大東流柔術をやっていたのですかね。この辺り
調べれば完全にバレルト思うが。惣角が知っていて、信玄様が知らない
筈はない。
武田惣角って姓すら怪しくなってきた。武田鉄也だって信玄の末裔か?
武田家は滅びた筈だし?武田の末裔という事すら胡散臭いぞ。


620 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 06:56
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=958776300
日本刀は欠陥兵器。
山本七平ともあろう人?でも紀效新書や陣記の事は知らなかったのだろうか?
>>303
『紀效新書』巻四『短兵長用解』によれば、長刀は”倭(寇)が中国
を侵してから始めて用いられるようになったものであるが、彼ら(倭寇)はこれ
をもって踊るように飛び跳ねて前進してくるので、我が兵はただ気を奪われるの
みである。倭は跳びあがるように前進する技法を好んで用い、一度足を進めれば
一丈余り、刀の長さが五尺であるから、一丈五尺余りである。我が兵の短器では
受け止めることが困難であり、長器では間に合わないので、これに遭遇したもの
は多くその身(武器の中間部)を両断されてしまう。その由縁は器械が鋭利であ
る点と、両手で使用するため、力が強い点にある。”『陣記』の作者・何良臣も
また次のように述べている:”日本刀は二つ三つ打ち下ろされるにすぎないが、
往々にして防ぎきれない。用刀の巧妙さを推して知るべきである。”・・・・・

これを読むと時代劇の様にすり足で動くというより、剣道の様に
ステップで攻撃していたのですね。花朗道クムドの武芸図譜通知の
チャンバラ図でも相手に飛びかかっている図がありました。
ひょっとして倭寇の影響でしょうか?
大韓剣道協会では、本国剣法型は一人で出きるのがメリットと言ってる
ので、あの相対図は捏造かもしれませんけどね。今は見れないし
他でも見れないんで、捏造かな。竹刀剣道をそのまま真剣でやらせた
つもりなのかな?
そう言えば山本さんの書いた、「日本人とユダヤ人」という本もかなり
叩かれてるらしいが。(イザヤベンダサン著)


621 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 07:09
>>611
そうですけど、まぁここはネットって事で、まずはネットからって事で。

ナンバーに載ると良いですよね。ここでかなりのヒントはあると思うし
文芸春秋の情報力をもっとすればかなりの事が出来そうな気がします。

テレビが一番いいんですけどね。フジは武芸図譜通知に関して間違った
情報流してるくらいだからしょうがないね。日韓併合後はテッキョンが
禁止されたとか(笑)


622 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 07:18
ナンバーにはHPないですか?BBSとかあればちくったるんだが。


623 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 07:20
>620
足場の悪い戦場ですり足なんてナンセンスですよ。けつまずいて不覚を
とるのがオチ。


624 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 08:50
>617
わりい。
こっちです。

http://www.rimshapkido.com/ysc.html



625 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 09:01
>620
地面から伸び上がるように切り上げるという刀法は野太刀という戦場刀法で薬丸自顕流に残ってますよ。
生麦事件の時、馬上の英国人はこの刀法で手首と腹を切り上げられています。




626 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 09:50
>619
武田家の武術に関しては馬場信房だったかが戦場格闘術を開発し、これ
がなかなか強力であったため、上杉謙信がこれを研究し、打ち破るため
に長尾流体術(北陸に現存)したという記録があるくらい。
家康が豊臣勢力との戦いに備えて、戦国最強の武田家の遺臣を取り込み
軍事技術の吸収をしたのは有名。ゆえに甲州軍学や甲州武術が江戸期に
ステータスを持った。それらは新羅三郎を祖にしていた。


627 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 10:20
>619
武田信玄の家系は家康が一度再興してます。跡継ぎが無く途絶えましたが。
信玄だけが武田の家系ではなく、各地にけっこう散らばってるようです。
武田家の末裔を自認する人を個人的に知ってますが(系図も持ってる)
めちゃ高びーで、並の人間でないことだけは納得できます。


628 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 11:44
http://pentagon.co.kr/kendo/frame.htm
ここのサイトの人は日本に留学経験もあり、日韓合弁会社に勤務していて、
韓国小学校や留学時に剣道をやった経験からか、剣道用具を日本から輸入販売もしてる。
剣道のBBSまで開設していて、非常に親日家、知日家のようだが、、、
http://trans.allkorea.co.jp/cgi-bin/unisoft_tg.cgi?URLNAME=pentagon.co.kr%2Fsword.htm
朝鮮刀劍
刀劍は科学技術がどんなに発達する海中の島、人間の真心と魂が一緒にしなければならない。
ペンタゴンが紹介する刀剣は、岳父江乘式先生の作品で1999年7月8一から7月27一まで
アメリカのNew York、Washinton、Seattleなど9個都市で韓米文化財団で主催する
韓国の伝統ムンフヮジョンに紹介された。
朝鮮刀劍製作公社の刀剣リストがでてるが、NO.2の「韓国も」は直刀か長剣のようだが、
まあこれはいいとして、NO.3の「チョソンゴム」ChosunGum朝鮮剣ってことかな。見た目
はまんま日本刀だぞ。NO.4からNO.12からもそうだ。刃紋があるのかないのか判然としな
いから、ラミネートしてるかどうかはわからんが、鍔も展示したのか。鍔工芸なんぞは日
本の伝統工芸そのものだと思うがなあ。李朝に日本刀擬きや鍔を作る伝統でもあったのか?
これを米国に朝鮮の伝統工芸として紹介してるってわけだ、韓米文化財団は。
この財団も要調査だな。どっかで見た覚えがあるぞ。怪しげだ。
しかしまあ、このサイトほどの御仁にしてこうなんだ、うーむ。


629 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 12:08
>NO.2の「韓国も」は直刀か長剣のようだが、
>まあこれはいいとして、NO.3の「チョソンゴム」ChosunGum朝鮮剣ってことかな。見た目
>はまんま日本刀だぞ。NO.4からNO.12からもそうだ。
訂正
NO.3の「チョソンゴム」ChosunGum朝鮮剣ってことかな。これは直刀か長剣のようだ。
まあこれはいいとして、NO.2の「韓国も」とNO.4からNO.12のは見た目はまんま日本
刀だぞ。柄の編み具合なんかはまんま日本刀だ。へんてこなふさなんぞつけてるのもあるが。


630 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/01(火) 12:26
>621
出版社ふぜいを過大評価してもダメですよ。文藝春秋ったって書くのは
個人営業のライター。組織的な情報網はありません。
関連したものでは10年前に「もう一つの空手バカ一代」と題して韓国
で大山倍達を主人公にしたマンガ「大野望」「闘魂」を紹介していました。
その中で大山総裁へのインタビューが出ていて、韓国に極真会を進出させ
ようとして韓国にいる実の弟に止められた話。テコンドーがカラテの名を
かえたかたりものである話などをしておられます。
ついでながら。この記事が出た後、韓国では「風のファイト」という新しい
マス・オーヤマものが出てヒットしました。「空手バカ一代」の一巻ぶんの
ストーリーを5巻かけて展開するもので、主人公の内面などかなり書き込ん
でいます。



631: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 04:38
   http://trans.allkorea.co.jp/cgi-bin/unisoft_tg.cgi?URLNAME=pentagon.co.kr%2Fsword.htm
   このサイトこれまででも酷すぎ!
   もう剣道だけの話ではないですねぇ。刀から剣道からぜーんぶひっくるめて
   日本をパクリそれに便乗しようとしてる。
   もう剣道協会だけの話じゃない。剣道協会が対応しないと、よその分野
   多くの日本人が犠牲者になるんだよ!
   朝鮮刀劍製作公社・・・・公社って国がやってんの?呆れた。
   一部の韓国人とかそういう話じゃないよ。
   もうあの国を好きになる事はないかも。
   
   日本も国でなんとかしろよ。

632: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 05:06
   >>626-627
   それらは新羅三郎を祖にしていた。
   ・・・・これがどうも胡散臭い。どのみち大東流と言う名前は
   なかったというのは明かですね。
   高坂昌信という人が甲州軍学の祖らしいですが、この人だって
   家臣だし、馬場信房という人も家臣ですよね。
   まぁ武田家に伝わる武術があったとしてもそれが源義光発という
   のは不明確な気がするし、武田惣角がそれを受け継いでいた
   証拠もなさそう。大東流を創始したのが源義光というのは
   明かに誇張ですよね。
   武田惣角・・・・この人の家系ってなんですか?
   
   足利尊氏しかり、日本では源氏の出というのをやたら誇る
   気風があるけど、大東流もそういう事なんじゃないですかね。
   源氏発というストリーを付けると権威付け出来ると。

633: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 05:35
   >ペンタゴンが紹介する刀剣は、岳父江乘式先生の作品で1999年7月8一から7月27一まで
   >アメリカのNew York、Washinton、Seattleなど9個都市で韓米文化財団で主催する
   >韓国の伝統ムンフヮジョンに紹介された。
   アメリカ人に「こいつ等日本の真似してる情けない人達」
   とさげずまれてるのを祈るね。
   「日本刀に似てますね。」ってリアクションは絶対ありそうだが
   あいつ等どういう屁理屈並べたんでしょうね。
   内心、冷笑されてる事を祈るよ。それだと逆効果だね。
   せめてもの救い。
   

634: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 06:06
   http://trans.allkorea.co.jp/cgi-bin/unisoft_tg.cgi?URLNAME=210.112.41.241/cgi-support/board/webboard.cgi?wb=kumdo/bod
   pentagonのbbsスレタイトルはなかなかそそるものがあるよ。
   ただし、allkoreaからだとスレのタイトルの表示までしかできない
   みたいね。内容まで見ようとするとエラーになって表示してくれないのが、
   残念だ。自前の翻訳ソフトでのちょい訳。
   
   14 キムウォンドク 伝統にかまけた韓国武道系の現実 2000/06/24 136
   私たちの(武道界剣道界含んで)の現実はあまり排他的です.
    '伝統'というキズナにあまりしばられて ありもしないことを作り出して...
   昔のことだけを すれば それは 発展ない 踏襲に しかならないです.
   現実に合うように 改良してこそ 発展が あることですよ.
   ただ段 乱発と 資格ない 師範 養成も 問題です. 内容がある 姿が 惜しいです.
   特に 剣道界はお互いけなすのに忙しいです...
   高句麗壁画 ひとつを持って テックォンド, 相撲, すいかも, 幾千......
   皆自分たちの動作といいます. ただし(単に) 停止した動作こと だけなのに.
   剣道系図 本国掛ける ひとつ持って 自分らが復元したことが 正統といいます.
   現 実的に '武芸徒歩通知'に起こってきて ある絵で 動作を復元することは
   難しいのが現実です. すなわち その時と同じな動作が出てくることはできないし
   物真似ことだけです. 最善の道はその動作等の意味を研究して自身のKUMSIMEL
   植えることだとします.

635: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 06:07
   韓国 人々は日本を嫌います. 武道界では お互い日本はないといいます.
   だが 伝統か? 違うかを離れて 近代武術社で日本の影響を受けないことがいくら
   になりましょうか? 急, ただ 制度, 室内 武道観, そして 武道を競技化させたこと
   も日本です. すなわち現在 武道界でするシステムは大部分 近代日本で定立になっ
   たことであります. こういう話ができます. 伝統を前面に押し出す 団体であるほど
   伝統とは遠い団体だと. 伝統をより遠い古代(高麗大)で前面に押し出す団体である
   ほど最も最近に作られたことで....
   日帝時代は私たちに多くのことを奪って行きました. 伝統また一時的の断絶があり
   ました. それで伝統をつなぐための努力が必要とします. だが その努力が 歪曲で
   汚されても だめで 単に昔のことを復元させる次元にとどまってはだめです.
   数多くの戦争の歴史の中で われらは中国, 蒙古, 日本 等 数多くの周辺国等の
   影響をやりとりして私たちの姿を能動的に変化させました. キムチの歴史はながい
   のだけれど 壬辰倭乱以後に現在の姿になりました. 私たち武芸の姿も能動的に変わ
   りました. 蒙古と同じな 騎馬民族との戦争時には騎馬術と馬上武術が発達して,
   成を守る時は 長い槍と HWALI 主な武器でした. ★壬辰倭乱以後には日本の影響で★
   双手大刀と個人火薬銃が使われました. 私たち民族は停滞になっていた ことでなく
   能動的で実用的に発達させて行ったことです ...中国, 日本, 西洋のことが問題で
   なく能動的に受け入れて 私たちのことを作ることが重要なのです. 特に 武芸の
   実用的の面が強調されることです.

636: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 06:33
   6 チェヨンチョル 韓国武道が発展しするためには 2000/06/22 132
   そのの中で喜びを探すこともして失望感を持つこともしました.
   そうこうしたあと 日本武道に魅了になって今はその道に終生を行こうとし
   ています. 私は日本武道を修練して普及して韓国に 定着させようという考えで
   できます. しかし 日本人でないです. 仮りに日本が韓国を侵略してくるならば
   当然に私は韓国を守りのために戦うでしょう. かりに私が日本で先生から教えを
   受けている中にでも。これは ちょっと 極端な 預入れとかだ.
   武道は その 民族文化と 離すことができない 関係です. といえども 武道は
   これから 全人類の 共同資産です. 世界は益益ひとつになっています.
   事実 どんな 面では 韓国武道 日本武道の 区分が 曖昧になり できます.
   剣道は もちろん 類似(有事)剣道団体等の 姿を 見守りながら 私は。。。。

637: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 06:33
   3 PENTAGON 剣道の根源(1) 2000/06/22 199
   80年代に入って, 剣道の人気が高まって, その人気に便乗して1980年代以後
   多くの剣道団体が生まれています. 剣道が大衆化に一つの契機になったことは
   ドラマ "砂時計"の放映 続けました. 剣道の根源! 剣道をスポーツ化させたこと
   は日本であり, この点は私たち皆 認めねばならない部分です. かと言って 日本が
   剣道の根源になることはできないし, 歴史的根拠や考証もなく韓国の伝統剣道とい
   えば, 韓国ことが なることは いいえ。 古代(高麗大)の武器は石器時代には石刀
   が あって, 青銅器時代と鉄器時代を経て, より一層 鋭利とホーンが徐LIN 刀が製作
   なりました. 言い換えれば, 国家を 形成するために 刀は 絶対的の 無期であり,
   その修練 方法も それぞれ 持っていたことです. いいかえれば どの国DUN 刀が
   存在して, 剣術が 存在したことです. では どの国が 根源であるか?
   剣道は 韓国から日本に流れていったとのことが定説です. 第10回 世界選手権で
   日本の 解説者は, 韓国代表選手等の 試合内容を 分析して 韓国の剣道は Energie
   があふれる剣道で, 日本の剣道とはその性格が違うとしました.
    だが, かと言って 韓国が根源だと話す人の話には同意しないです. 古代(高麗大)
    武術の 根源がインドと中国がように 歴史家 長いインドや中国でまず 行なって
   いた可能 性が多いと考えます.
   剣術と 剣道は 違うと 考えます. 剣術は人を切って刺す 首枷をかけられる手段で
   あり, 剣道は武道の精神で自身を修養することです. 朝鮮時代にも撃剣がありました. 撃剣がない刀の修練は実戦性が 全HYUUBSを 運があります.
   古代(高麗大)にも 実戦に 対応し 撃剣を 行なってきました. 私達が 学問を
   貴重が した 時期, 戦国時代を 経て 刀の文化を 花咲かせた 日本も 武道的 性格
   を もった 撃剣を剣道として, ...
   韓国人は行き過ぎる程で自身を正当化させて, 民族主義や国粋主義が強いと感じる
   時が多いです. 世界選手権でも 勝たなければならなくて, 剣術と 剣法も 研究開発
   して彼らに勝たなければならないです. かと言って 日本より 私達が ライトオーバー
   河DUKO 抑止は 使わないでおこう. 儒学的な ノウハウは 当然に韓国が多いように
   血比隣内 私は 戦争 の中で 磨きあげられた 彼らの 剣道は 現在は 私たちより 秀です. これを 否定して, 前では 私達が 最高といいながら, 日本剣道を 正確に 研究
   することもせず,粗雑に 横目で真似して 民族剣道といえば, それは 国籍ない
    正体と実体性ない 剣道将来を より 暗く するでしょう.
   私たち 剣道界は日々が発展しています. 常に研究する心から 修練して, 日本剣道の
    長所を 分析するならば 遠からず 韓国の 剣道が 世界一になるはずです.

638: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 06:55
   >>636
   >日帝時代は私たちに多くのことを奪って行きました. 伝統また一時的の断絶があり
   >ました. それで伝統をつなぐための努力が必要とします.
   
   伝統また一時的の断絶、、、自主的な発展中断はそのとおり、ただ他の多
   くの国がそういう経験をしてくるのが普通だけどね。それはともかく、
   日帝時代は私たちに多くのことを奪って行きました、、、これはたまらん
   なあ。本当にそう思い込んでる韓国人はたくさんいるだろうな。この書き
   込みはかなりの常識人とおもうがこうなんだ。おそらくこの板にきている
   こりあんでさえも。。。。
   
   >★壬辰倭乱以後には日本の影響で★
   >双手大刀と個人火薬銃が使われました. 私たち民族は停滞になっていた ことでなく
   >能動的で実用的に発達させて行ったことです
   
   武藝圖譜通志に日本刀による両手剣法が載っていたにしろ、中国清朝でも明朝ほど
   には倭刀の修練はつまれなくなった。朝鮮でもそうだと思うがなあ。発展など
   してこなかったと。

639: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 06:59
   638は、>>636じゃなく、>>635でした、失礼。

640: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 07:28
   >>634
   この人はまともだ。こういう人が大臣にでもなればいいよ。
   同じ人間なんだからこういう頭持ってる人もいるのだ。
   >高句麗壁画 ひとつを持って テックォンド, 相撲, すいかも, 幾千......
   >皆自分たちの動作といいます.
   >>635
   >日帝時代は私たちに多くのことを奪って行きました.
   というより大量に日本文化が入ってきて今模倣してるのでしょ。
   >★壬辰倭乱以後には日本の影響で★ 双手大刀と個人火薬銃
   >が使われました.
   じゃぁそれは剣道の亜流でしかないですよね。中国では倭刀と区別され
   てるのだから韓国でも倭刀と区別出来ないのですかね?それ以外を
   シナ刀と区別してしまうと、自分達の刀がなくなっちゃうから?
   でもこれもかなりマトモな意見。
   >>637
   >剣道は 韓国から日本に流れていったとのことが定説です.
   定説オヤジみたい。じゃぁそのルーツの剣道をやればいいじゃない。
   剣道って双手大刀が基本らしいけど、それでルーツの剣道をやるのは
   無理ですよね。剣道をスポーツ化とかうるさく言ってるからいっその
   事剣道=スポーツと定義して逃げ道無くした方がいいよ。剣道日本刀
   論なんて通用するわけでもなし。重さも形状も違うし、前提が違うのに
   試合にケチつけるのは誤まり。
   
   韓国人の日本に対する片思いって強烈なものがあるけど、やっぱり
   対等にはなれんでしょ。剣道に関しては。
   欧米人のように日本から学ぶ、弟子になるという気持ちで臨まないと。
   韓国人の日本への憧れと動揺を読み取る事が出来ました。
   韓国の片思いは続くと。
   

641: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 07:37
   そもそも剣道って明治以降スポーツ化した時に付けた
   名前ですよね。剣道協会、これが全てだ。

642: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 07:43
   韓国人は出藍の誉れってことを知るべきだ。
   起源起源と喚かなくても剣道を一所懸命やって日本を打ち負かせばよい
   ではないか。儒教では(不幸にして)本場になったようにだ。

643: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 07:52
   >641
   あのう、どうでもいいんだけども、
   混同してる?人が何人かいるみたいだから書くけど、
   剣道協会と剣道連盟は別組織ですよ。AJKFは後者。
   前者は十数年まえにできたやつみたい。>>130

644: 名前:剣道日本 八月号 投稿日:2000/08/02(水) 08:07
   異国にてというコラムを読みました。現物が手元にないので私の記憶
   だけを頼りにして書きます。
   
   著書は15年位前にドイツに剣道の師範として赴いたそうです。
   そこで覚えたカルチャーショックについて書かれていました。
   
   試合後の礼儀作法で、礼をせずに握手を求めてきた青年がいたらし
   い。筆者が思うに、「剣道の技術は習うもののここはドイツだから
   ドイツ流の礼儀作法で通して何が悪い。」という意志を感じたそう
   です。青年は最後はきちっとやったそうですが。
   
   筆者は剣道が10年20年グローバルに国際化していくとそれだけ日本の影響
   力が沈下してしまうのではないかと懸念を抱いたそうです。今でこそ
   強い影響力を持っている剣道も、例えば日本も一票だけの権利しか
   持てなくなり、剣道人口が少ない国も平等に投票権を持つようになる
   と。剣道の精神が軽んじられ、試合偏重主義が横行するのではないか、
   と危惧していた。
   
   剣道というのは海外から来たものだから世界各国の修行者は常にグロ
   ーバルな視点を持つクセが付いているそうです。
   そして、国際的にも頻繁な交流がある。そういった中で内に閉じこもっ
   た日本が、剣道協会を背負って立つであろう青年達(例えばドイツの青年)
   と10年後20年後に同じように交流出来るのか?と危惧していました。
   
   筆者は世界の剣道も凄いと興奮気味日本の友人に手紙を書いたそうです。
   その友人の返答は
   「ドイツの剣道?屁でもないわ。」
   「人の心配する暇があったら、自分の剣道を
   磨け!」
   しまいには「ドイツかぶれ!」の一言。
   
   ドイツの思いでが急速に冷めていく筆者
   だった。

645: 名前:>643 投稿日:2000/08/02(水) 08:10
   すいません。適当に言ってました。剣道連盟の間違いでした。
   竹刀日本刀論は剣道連盟のお偉いさんでしたよね?
   

646: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 08:11
   日本刀を模したという事は理解してますが、真剣と
   同等に考えるのはちょっと無理がありますよね。

647: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 08:20
   文化ってのは伝達、翻訳、受容されたその瞬間から変質するものだ。
   何でもかんでも日本流じゃなきゃダメっていうなら、国際的に広めよう
   などせず、門外不出にするしかなんだがな。やってることと、言ってる
   ことが矛盾してるぞ、剣道連盟。

648: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 08:33
   >645
   いえいえ。
   竹刀日本刀論、これね。
   http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=korea&key=954056767&st=798&to=799
   
   

649: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 08:37
   剣道日本八月号は書店にはもう置いてないかも。
   
   いまいち伝わり切れてないと思うので、興味の
   ある方はバックナンバーか古本屋をあたってくだ
   さい。
   
   私があの記事を読んで分ったのは、日本は剣道の心を
   重視しているという事。日本は強いリーダーシップを
   持っている(と思ってる)という事。
   日本がリードして、世界を正しい方向に導かなくては
   ならないと自負している事。
   一方で、日本の地位が弱まることに関して、焦りがある。
   
   しかし、クムドには好き勝ってにさせてるのに
   「日本がリードしている。」とかよく言えたものだと
   思いました。韓国には好き放題にやらせてるじゃん。
   対岸の火事も消せないくせに、よく言えたもの
   だなと。剣道の心を教える前にやる事があるでしょ。
   
   筆者の友人は典型的な感じがしましたね。
   頑迷で、融通が効かない。実は危機意識に鈍感で
   、大丈夫だろうと高を括っている。
   己の内面を高めるのに夢中なのはいいけど、
   その間に泥棒されたり、切られたりするんだって(笑)
   
   

650: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 08:48
   ドイツ人の日本を食ってやるという熱意は大変なものだったとか。
   技術は学んでも、それはドイツの剣道の為という意識が強かったとか。
   ドイツでは試合偏重主義で、勝ち負けに凄く拘るとか。
   書いてあった。
   
   こうした若い世代が将来世界化された剣道を背負ってたつと
   確信した上で、日本は大丈夫だろうかと不安になったらしい。
   
   フェンシングやる人って、やっぱりフランスの騎士とか
   に憧れたりするのかな。ノーブルなイメージはあるね。
   
   やはり海外では、侍、ちょんまげ、日本刀帯刀・・・・
   ってイメージも強いと聞きました。そういったイメージも
   部分もクムドは壊そうとしてるんだからね。

651: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 08:50
   と批判めいた事を書いたが、やはりなんと言っても
   剣道連盟が一番頼りになる。幹が動かないと如何しようもない。
   だからこそ、頑張って欲しいです。

652: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 10:10
   634
   >高句麗壁画 ひとつを持って テックォンド, 相撲, すいかも, 幾千......
   
   この「すいか」っていうのは機械が翻訳できてないんだけど「手縛」という高句麗
   に関する記録に出てくる武術の名ね。絵も何も存在しない。
   

653: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/02(水) 10:30
   634
   >高句麗壁画 ひとつを持って テックォンド, 相撲, すいかも, 幾千......
   
   この「すいか」っていうのは機械が翻訳できてないんだけど「手縛」という高句麗
   に関する記録に出てくる武術の名ね。絵も何も存在しない。
   
   
   このスレッドでは韓国人がどのように日本に関することを直視せず、歪曲をしているか、わかりやすい形で展開していると思います。
   その原因に「日本の文化はすべて韓国起源」「日韓併合は日本がすべてを奪った」という事実に反する固定観念があることが浮き出されました。
   また、われわれの嫌韓・厭韓感情も、その夜郎自大な意識に対する反発であることも。韓国について、われわれが常に心しなければならないのは彼らの「夜郎自大」であり、また韓国人が知るべきも自分たちの「夜郎自大」です。
   
   ところで、当方のところに電話帳並みにでかい韓国の国語辞典がありますが、「夜郎自大」という言葉がのってません。(嘆息)
   

654: 名前:テコンド現代史(1) 投稿日:2000/08/02(水) 14:45
   「テコンド現代史」(1999.3韓国ポギョン文化社発行)の内容についてご紹介しましょう。著者:は姜元植(カン・ウォンシク)韓国体育大学テコンド学科講師を経て現龍仁大学テコンド学科教授。そして李京明(イ・キョンミョン)世界テコンド連盟事務次長を経て現諮問委員。といういたってまっとうな人々ですので、素性の正しい本と言えるでしょう。
   
   1.李承晩大統領時代の状況
   
   日本から伝わった空手は空手道[コンスド]、カラテド(日本語読み)、唐手道[タンスド]、拳法など、さまざまな名称で普及されていた。
   当時の主な道場勢力は以下の通り。
   
   青涛館(1944-)初代館長李元国(朝鮮動乱時、日本に密航「売国奴」として地位は抹殺される)。二代目はユン・ケピョン。
   
   この分館として下記のものが派生。
   吾道館。館長崔泓煕(チェ・ホンフィ)。少将。軍隊内で広める。蒼軒流空手と称したこともあるが、李承晩大統領と接し、1955から「テコンド」の名を使う。1960ベトナム戦争時には657名のテコンド師範を送った。また、民間道場とは差別化し、一線を画していた。
   国武館。
   正道館。
   青龍館。
   
   朝鮮研武館空手道部智道館(1946−)館長チョ・サンソク。
   柔道道場内に発生。
   
   YMCA拳法部彰武館。1946-館長ユン・ピョギン。のち智道館と親交厚くなる。
   この分館として講徳院、韓武館。
   
   武徳館。館長黄[王奇](ファン・ギ)。館長は南満州で朝鮮古武術を学んだとしているが裏付ける資料はない。鉄道局内のクラブとして発生。唐手道[タンスド]あるいは手縛道[スバクド](高句麗時代からあったとされる武術の名)の名で普及。(この系統はいまも活動中)
   
   松武館。1946-館長ノ・ピョンジク。

655: 名前:テコンド現代史(2) 投稿日:2000/08/02(水) 14:46
   2.改称
   その名称がいかにも外国のものなので、それを排するために民族的な名称に統一するのがふさわしいとされました。
   1954年12月、崔泓煕が中心となった名称制定委員会で、民俗伝統競技「テッキョン」の名を模したテコンドの名称が満場一致で決定された。
   

656: 名前:テコンド現代史(3) 投稿日:2000/08/02(水) 14:47
   3.定着まで
   さて、いったん「テコンド」の名が制定されたのですが、実はこれが定着するまでには長い時間が必要でした。
   この流れを書くと以下の通り。
   
   1950朝鮮戦争勃発。臨時政府のあったプサンで「大韓空手道協会」創立。
   1953大韓唐手道協会、大韓手縛道協会創立。
   1954.12「テコンド」名称決定。
   1959.9「大韓テコンド協会」と改称。
   1961.9「大韓テースド協会」と改称。
   1965.8ふたたび「大韓テコンド協会」と改称。
   
   掲記を順を追って説明します。
   「大韓空手道協会」が設立された1ケ月後、武徳館館ファン・ギが離脱。続いてその1ケ月後、青涛館孫徳成(ソン・トクソン)が離脱。
   果たして何があったのか、記載がないので理由はわかりません。主導権争いなのかなぁという感があります。
   朝鮮戦争がまだ継続する中、武徳館ファン・ギは独自で大韓唐手道協会および大韓手縛道協会を創立。大韓民国文教部(日本で言う文部省)体育会に登録を図ります。
   ここから吾道館館長崔泓煕(チェ・ホンフィ)少将(陸軍歩兵29師団長→第6管区司令官→戦闘基地司令官→陸軍情報参謀部長)の軍をバックにした積極果敢な動きが始まります。1954.12統一名称「テコンド」決定、1959.9「大韓空手道協会」を「大韓テコンド協会」と改称します。
   ここまでは順風満帆でありましたが、1961年、彼の後輩にあたる朴正煕の軍事クーデターが起きてから、事情はコロリと変わってしまいます。
   
   経済政策に失敗し、独断専横をほしいままにした李承晩大統領は、1960年、4.19学生革命で国外に追われます。つづいて、1961年、5.16クーデター後、政権は朴正煕が率いる「国家再建委員会」の手に握られます。旧政権関係者であった崔泓煕(チェ・ホンフィ)氏は、立場上、いろいろと難しくなったことが推測されます。軍職を退き、マレーシア大使として国外に出ていきます。
   
   彼が居なくなった後、「国家再建委員会」が団体の文教部への再登録を求めたことから、再び統一名称問題が持ち上がります。
   各館館長たちは、実はいままでどおりの名称を継続していました。崔泓煕氏の政治的豪腕に対する反発らしい。
   「あの時、崔泓煕から文教部がすでにテコンドという名称に決めたこととして知らされた」と主張します。そして、さらに「すでに空手の名称は世界に通用している」とし新たに名称制定会議を催します。
   こうしてテコンドのテ[足台]と空手の[手]の字を繋ぎ、「テースド」の名を作ります。組織も「大韓[足台]手道協会」と改称します(1959)。面白いのはこの時、武徳館館長黄[王奇](ファン・ギ)が参加していることです。しかし、やがて独自の運動を始め、1962.8智道館ウン・チビュンを伴い、正式脱退してしまいます。
   
   1965帰国した崔泓煕氏は「テースド」に対し、巻き返しの活動を始めます。 ふたたび「テコンド」の名を復活、「大韓テコンド協会」会長に就任。
   1965.3.18「統合宣言式」を大々的に開催します。面白いのは武徳館館長黄[王奇](ファン・ギ)がそこにいたことです。
   翌朝、彼は「統合は無効!」と宣言。大韓手縛道会として独自の活動を始めます。
   なんだかんだといいつつ、いつも新組織成立に関わってくるところを見ると、かなりの実力者なんですね。
   
   再び豪腕をふるった崔泓煕氏も、しかし一年あまりで会長職を退き、カナダへ移住してしまいます。これにはかなりこみいった政治的事情があったようですが、本にはその事情が書かれてないので、真実はわかりません。(ITF発表では朴正煕大統領暗殺計画を立てた嫌疑からの亡命)
   そして1966年「大韓テコンド協会」、カナダ、アメリカ、西ドイツ、イタリアなどの海外組織により、国際テコンド連盟ITF創設。式典はソウルの朝鮮ホテルで行われました。ところが、同じ1966年松武館館長ノ・ビョンジクが大韓テコンド協会第五代会長に就任しています。組織は二つに分裂したのです。
   
   これ以後「大韓テコンド協会」の動きは下の通りです。テコンドは二つの組織により世界にひろまっていきました。
   
   1967年国会議員金容彩氏「大韓テコンド協会」第六代会長に就任。国技テコンドを世界的に発展させる。
   (1968手縛道会、ソウルで第一回世界大会を開催)
   1971朴正煕大統領から「国技テコンド」の揮毫を受ける。
   1973世界テコンド本部総本部道場「国技院」開館。
   

657: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 06:31
   のんきなこといってやがる。チンケな比較文化論だ。
   http://www.gem.kurume-nct.ac.jp/kidera/zakkan/kankokukendou.htm
   韓国剣道・日本剣道 ( 2000.5.16)
    先の世界選手権で日本と韓国は決勝で熱戦を繰り広げ、僅差で日本が優勝しまし
   た。2002年には福岡で剣道の日韓戦も予定されているようです。韓国剣道・日
   本剣道という言い方をしていいのかどうか疑問ですが、この2国が国際的に剣道界
   の中心となるであろうことは異論がないところのようです。
    さて、日本と韓国の剣道の剣風についてこれまでも言われてきました。日本側か
   らすれば、韓国の剣道は競技的であるとか、当てっこである等の批評が多かったよ
   うに思います。
    三浦雅士という方が、武智鉄二の芸術論を受けてつぎのような興味深い見解を述
   べておられます。世界には大きく分けて二つの身体所作の文化圏があるというので
   す。農耕民の文化圏と遊牧民の文化圏であり、それは、舞踊では舞の文化圏と踊り
   の文化圏であるというのです。「舞の特徴は、すり足にナンバ、腰をしっかりと据
   えてゆっくり動くこと。踊りの特徴は、跳ぶこと、跳ねること、回ること、である。
   舞の典型は能であり、踊りの典型はバレエである。」
    ところが、海峡を隔てて近距離に位置する日本と韓国では上記の文化圏が異なる
   というのです。日本は農耕民の文化圏に位置し舞の文化、韓国は遊牧民の文化圏に
   位置し踊りの文化が中心であるというわけです。
    このような所から、日本と韓国の剣風を考えるのも興味深いことかもしれません。

658: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 07:45
   >「テコンド現代史」(1999.3韓国ポギョン文化社発行)の内容に
   >ついてご紹介しましょう。著者:は姜元植(カン・ウォンシク)韓国体
   >育大学テコンド学科講師を経て現龍仁大学テコンド学科教授。そして李
   >京明(イ・キョンミョン)世界テコンド連盟事務次長を経て現諮問委
   >員。といういたってまっとうな人々ですので、素性の正しい本と言え
   >るでしょう。
   >>654-656
   ええーーーーこれってもう決定的じゃないですか!胸がすくような
   感じ。現龍仁大学テコンド学科教授。そして李京明(イ・キョン
   ミョン)世界テコンド連盟事務次長を経て現諮問委員。
   こんな経歴の人がここまではっきり言えてしまう、自由があった
   んですねー。龍仁大学・・・・これは韓国1の体育大学ですよ。
   オリンピック候補生もたくさんいます。SRSに出ていたのも
   この大学。ここまで分っちゃってるのに。2000年の武道とか
   言ってるのが笑えます。
   >蒼軒流空手と称したこともあるが、李承晩大統領と接し、1955
   >から「テコンド」の名を使う。
   これ大山倍達の言ってた事と同じです。それは何か?と聞かれ「日本の空手」
   と答えたら、李承晩は怒ったそうですから。
   >1954.12統一名称「テコンド」決定、
   このテコンドってどうやって決めたんでしょうね。テッキョンドウ?
   テッキョンは本当にあったの?
   胸のすく思いだけど、自分だけ納得してもしょうがないよね。彼等は
   現に韓国で独自に発展し、空手のルーツとか馬鹿な事ほざいてるん
   だから。セコイけど、間違った情報流されてる以上テコンドウの
   欺瞞を白日に曝す必要があると思う。嘘つくにしても日本が犠牲に
   なってるんだからね。セセラ笑ってる方が情けないかも。
   
   クムドだってケンドウ→クムドに変更した時期があった筈です。
   剣道連盟は韓国剣道が再び連盟に入る際、禁止すべきでしたね。
   表音文字と表意文字の違いの重要性が分からなかったのかなぁ。

659: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 07:57
   よくあんな書物を引っ張り出してこれましたね。テコンド側は
   完全に確信犯なわけだ。本音と建前という事で、
   実は多くの人が御存知なのかな?
   しかしウブな子供や韓国系アメリカ人は話を鵜呑みにしちゃうよ。
   日本が収奪したって?収奪されたのはこっちじゃない(笑)
   日本の武術は全てコリアにルーツがあるとか言って、三国時代から
   テコンド、クムドをやってたとどこかのサイトにあったな。
   
   姜元植氏は今でも同様の発言してるのかな?本音と建前でやってるから
   体裁上の問題という事かな。だけど体裁上の問題だって分ってる人
   がいないんだよ。オフィシャルサイトであんな外基地な事書かれて
   韓国人や欧米人とかが鵜呑みにしちゃうんだから、やっぱり駄目。
   
   チェヒンヒのテコンドーは一応空手とテッキョンが融合した
   と言ってるけどこっちの方が数段ましですね。こっちは放逐され
   ちゃったけど。
   テコンドーという名称もうそうですけど、テコンドーが足技に絞る
   戦略をとった裏話とかも分るといいな。
   テッキョンと空手の融合、って言うより、テッキョンは付け足しで
   あくまでも人工的に造られた近代スポーツって感じ。
   空手には琉球唐手、中国拳法に近い流派から極真や正道まで色々
   あるみたいだけど、テコンドーには空手にそっくりな流派とかないですね。
   統一が取れすぎてる所がいかにもニセモノらしいです。
   

660: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 07:59
   大東流ですけど、会津藩問題不出の武道だったんだって。
   ・・・・これも胡散臭いですね。
   
   技の妙味は評価すれど大東流も歴史は怪しいというのが
   どうも挌闘会の定説みたいです。

661: 名前:660 投稿日:2000/08/03(木) 08:13
   門外不出のタイプミス。

662: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 08:14
   >>604
   >ビデオといえば、海東剣道からこんなんが。。。いやな予感がする。
   
   これだな。袴?履いてる。
   http://www.turtlepress.com/Excerpt.asp?ArtNumber=36
   This article excerpted from:
   Haidong Gumdo: Korean Sword Art video Author:
   Jeong-Ho Kim Order code:
   KCA3 Price: $19.95

663: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 08:15
   武藝圖譜通志(1759年)にあるという本国剣法ってのは百済王を刺殺した際の剣舞の
   のことか。旧スレにでてた大韓剣道協会サイトでは武藝圖譜通志が東国輿地勝覽から
   引用したといってたな。
   http://www.hwarangdo.com/hwarang2.htm
   Muyedobo T'ongji, vol.3. Translated by Chong, Ai Li.
   Muyedobo T'ongji was compiled in 1789 and is thus very late as a Silla period
   source. I have not been able to find the story about Hwang Ch'ang in any other
   source.
   ★"Native Sword" (Pon'gukkom)★ or "New Sword" (Shin'gom), to be carried on the
   waist like "Sharp Sword" (Yodo). Travelers says that the sword was invented and
    practiced by a Silla Hwarang, Hwang Ch'ang. Legend says, that he went to Paekche
    when he was seven years old and preformed a sword dance there, attracting a
    multitude of spectators. Hearing the rumor, the king of Paekche called him on the
    floor. Availing himself of this opportunity, he stabbed the king. He was caught
    and killed by angry Paekche people. Hearing the news, Silla people mourned his
    death and started sword dancing by themselves with a mask modelled after his image.
    This dance have been passed on until today (AD 1789).
   Hwang Ch'ang was one of the famous Silla Hwarang. (Muyedobo T'ongji's note: The
    King and officials of Silla were perplexed by the problem of finding the talented
    people. They then chose goodlooking men, made them put on make-up and called them
    Hwarang followers. A whole group gathered and therefore the wise men could select
    the good ones among them and put them in positions of service.) Like the legend of
    Sullang and Yongnang (Muyedobo T'ongji's note: According to the legend the four
    Silla Hwarang Sullang, Namnang, Yongnang and Ansang visited the Ch'ongsok-chong
    area) Hwang Ch'ang Rang and several thousand Hwarang Followers (Hwarang do) had
    exerted themselves with loyalty and trust.
   Moreover, Silla's neighboring country, Japan (Wa), must have received their "sword
    dance equipment" (sword techniques/"samurai swords") from Hwang Ch'ang Rang and
    yet this cannot be examined today. Since Hwang Ch'ang Rang was the founder of
    Native Sword, Mao Yuan-yi of China presumed that the method of using the sword
    (Kombop) was acquired from Choson - after it was compared with several books from
    the western regions. Then, in that case Choson is stealing her own techniques back,
    but if one compare with the versions in the official history books of Japan, then
    Choson is stealing Chinese techniques. No matter who is stealing and who has been
    handing down techniques, now several hundred years have passed since Mao Yuan-yi
    lived and therefore, who gave techniques to the others and who received the
    knowledge is not really known.

664: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 08:16
   つづき
   武藝新譜(1759年)>>569だけじゃなく、武藝圖譜通志(1759年)にも日本刀の記載がある。
   さらには武藝圖譜通志は中国、日本の本を参照しているってことか。
   Why didn't our own people hand down and train the techniques by themselves but
    instead wait for Mao Yuen-yi's book Wubeizhi (On Military Preparedness) and first
    then again start to pass it down in order to practice it? Now it cannot be known.
   As said in the beginning, this was Mao's presumption and today we have included
    this little discussion here in the section on Native Sword."
   Then follows 12 pages of "notes" where battle stances, techniques etc. are
    explained with illustrations. In "general note" and "general illustration" the
    connecting movements of stances in battle are detailed in three pages of diagrams
    and illustrations. John Della Pia, M.A. has a translation of the techniques with
    pictures.
   "In the initial period of the Choson dynasty, full attention was paid to military
    preparedness and training. However, the military alert was slackened in favor of
    civil affairs as threats or war from outside gradually diminished. However, after
    the Japanese invasion in 1592 and the Manchurian invasion in 1636, Korean kings
    were mindful of military preparedness even in times of peace.
   ★The Muyedobo T'ongji★ (Illustrated Survey of the Martial Arts) was compiled by order
    of King Chongjo (1776-1800). In 1789 the king ordered the survey of esoteric books
    of olden times and to experiment with the findings through actual performance and
    demonstration by officers and soldiers so as to rectify any ensuing discrepancies.
   When the book was finalized it contained 24 skills, such as: crescent sword, paired
    sword, spearheaded cudgel, fist-fighting techniques, ★japanese sword★, long spear,
    equestrian skills etc.
   The bibliography of Muyedobo T'ongji lists a total of 145 titles of books from
    Korea, China and Japan. The list includes about 15 titles of military manuals,
    scripts, histories, bibliographies, various writings, dictionaries, medical books,
    agricultural books and novels."

665: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 08:17
   http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=korea&key=954056767&st=793&to=794&nofirst=true
   東國輿地勝覧 (復刻版が1912かな)には新羅人黄窓が剣舞をえさに百済王を刺したので、
   百済人は彼を殺した。新羅人は悲しんでその顔姿を型どって仮面を作って被って剣舞を
   踊ったと記す。それが今も伝えられている。倭が新羅と隣接しているから剣技と剣舞が
   伝えられた。<武藝圖譜通志>とか<東京雑技(東京雜記)>は<東国輿地勝覽>を引用したそ
   うであるが、 <東国輿地勝覽>はどういう文献を参考にしたか明らかにしなかった。
   http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=korea&key=954056767&st=783&to=783&nofirst=true
   東國輿地勝覧(これは李朝期の書物)

666: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 08:17
   http://home.flash.net/~judymo/geomdo/origins.html
   The Muye Tobo T'ongji
   The Jixiao Xinshu was a text on wuyi (Chinese martial arts) written by
   the Ming General Qi Jiquang in 1561, and history suggests that the Koreans
   acquired the document by dubious means during the latter stages of the
   Imjin War (1592-1598), which was fought with the assistance of the Ming
    against the Japanese forces of Hideyoshi Toyotomi. (It is doubtful that
    the Ming would have freely given up such an important military document
   to the Koreans, especially when a mere 36 years later, in 1636, the Ch'ing
    (Manchu) Chinese forced the capitulation of King Injo and demanded Korean
   troops to assist in the subjugation of the Ming.) The Sok Pyungjang Tosul
   was probably based on a copy of the Jixiao Xinshu, while the Muye Tobo T'ongji,
   composed in 1790 and containing sections on armed and unarmed combat, as well
    as cavalry and infantry tactics, is a copy of the Sok Pyungjang Tosul.
   The sword forms used in modern Haedong Kumdo were gleaned from those
    contained within the Muye Tobo T'ongji.

667: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 08:18
   http://members.aol.com/torm1358/dissert.htm#Muye%20tobo%20t'ongji
   King ChOngjo(r:1776-1800) ordered the compilation of the military
   techniques then in use. Yi TOkmu, Pak Chega and Paek Tongsu were
   tasked with publishing the book, which they did in 1790 as ★the Muye
   tobo t'ongji in four volumes. The book is compiled from earlier
   works, the Muye chebo of 1598, and the Muye sinbo, written in 1759. ★
   In all, 24 different skills are described, from sword to pike. Not
   only were many of these techniques done on foot, but many were also
   applied to horse. From the initial Korean sword, archery and staff
   techniques, were added six new weapons, chronicled in the Muye chebo.
   Later, a further six techniques were developed during YOngjo's reign
   (contained in the Muye sinbo). Lastly, a further six skills were
   added, with many of the existing skills being extended to the horse,
   during ChOngjo's reign, to make 24 in total. These skills were known
   as kyOkcha-chibOp(method for [lit. of] a piercing attack). That is,
   state martial arts appear to have been updated and developed during
   from the 16th to the 18th centuries. These techniques used
   traditional weapons, and were developed during the period when there
   was little official, or local, interest in the military. That is, it
   appears that a small core kept the martial arts alive. The main
   innovation, during this period, seems to have been the extension of
   many of the techniques to being practised from a horse (see plate c & d).

668: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 08:18
   つづき、この英文晦渋だよん、よくわからん。
   Recently some of the techniques in this manual have been resurrected
   under the name of KyOngdang (though, unfortunately, not those to do
   with the horse). However, there appears to be different
   interpretations of the moves. For instance, if one compares the
   original print of a pattern called ponkukkOm (see plate e), with two
   interpretations (see plates f & g ) it can be seen that they are
   quite different. The original print shows a medium-length curved
   blade, such as a katana, while the modern renderings opt for a
   Chinese style, straight-bladed sword (Kim KwangsOk) and a very-long
   sword (changgOm) by the KyOngdang practitioners. PonkukkOm is
   supposed to be Hwang Ch'ang's legendary Silla sword art. If this art
   has been handed down from Silla times, then it would presumably would
   have been intended for use with a Chinese-style sword because the
   curved bladed sword only appeared after the Imjin War. Kim, then,
   appears to be attempting to recreate the original form of the
   pattern. However, by the time the muye tobo t'ongji was published,
   the pattern had been adapted for use with a katana. This would
   suggest that the sword arts had, for a long while, been adapted to
   ★use Japanese-style swords. ★The kyOngdang style has tried to follow
   the instructions in the Muye tobo T'ongji. As can be seen, ★ChosOn
   swords seem to have become curved (see plate h) to various degrees,
   relflecting lessons learned from the Imjin War.★ It is unclear,
   though, why the kyOngdang style uses such a long blade for all the
   techniques, when it appears that a shorter blade is intended. Could
   this be a legacy of the Japanese Imperial period, in that it is not
   felt appropriate to use Japanese swords with a, supposedly,
   traditional Korean martial art? However, the Muye tobo t'ongji does
   not just record the ChosOn systems used, but also includes sections
   on Chinese and Japanese martial arts. For instance, the chedokkOm was
   one of the techniques brought by the Ming general Yi Yongson during
   the Imjin War.82 The empty-hand techniques, called kwonbOp, are also
   based upon Chinese techniques.83 If so, then they probably replaced
   subak, if it had survived to this period. While waegOm represents the
   techniques the Japanese samurai used during the Imjin war.
   
   Plate I further illustrates the problems of interpretation of the
   manual. This page, from the Seoul' university's kyOngdang club's
   manual, gives the original Chinese (bottom right), the original mixed
   script (bottom left), and the modern interpretation (top), which is,
   incidentally, different from both Sim UsOng's and Kim's books. This
   further confuses attempts to interpret the Muye tobo T'ongji. As well
   as written explanations, the Muye Tobo T'ongji also gives two types
   of diagrams for the major patterns. Examples can be seen in plates J
   and K. Plate J illustrates the kwonbOp empty-hand techniques. As well
   as the picture representations, the Chinese names of the moves are
   also given in a separate diagram. Plate K shows a pattern using a
   Chinese halberd.

669: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 08:22
   色々サイトを見てておもったんだが、
   テコンドサイトは数も多く、論文なんかも充実してるね、例え、
   トンデモであろうともね。それにくらべると、Kumdoサイトは質、量ともに
   貧弱だね。テコンドサイトの方が拾い物が多い。

670: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 09:52
   大学にテコンド学科なんてありますから。

671: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 10:14
   >659
   この本は出たばかりでソウルの書店で簡単に手にはいるものなんですよ。
   「テッキョンとは何か」ということですが、手元に「テッキョン(李恒福著1990)」
   という書籍がありますが、これを読んだかぎり、武術とは異なるようです。李時代
   の記録にはじめて登場しますが、村まつりの余興として行われる遊戯のようなもの
   ようです。軍事護身目的等に使われたことを証明する記録はないようです。こちら
   の書では「テコンドは技術的にもテッキョンとは、いっさい無関係。テコンドの歴
   史は創作」と訴えています。
   
   

672: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 12:37
   >>666-677
   http://members.aol.com/torm1358/dissert.htm#Muye%20tobo%20t'ongji
   朝鮮の剣法には壬辰倭乱以後に日本刀を取り入れて刀が曲がってきたとか
   書いてあるね。朝鮮通信史の護衛兵の刀は曲がっているとか出てる。
   Muye Tobo T'ongji and T'aekkyOn
   The regular Korean emissaries to Japan have been recorded in scrolls.
   By examining these scrolls it is possible to make some suggestions
   about the favoured weapons of the retinue's guards. It would appear
   that the favoured weapon of the Korean guards was the bow. Some
   guards are carrying swords slung low across the back, but its hard to
   tell if they are the same size as the Japanese katana or longer. The
   blades do appear to be curved though. Most of the Korean guards are
   riding horses, suggesting that they were yangban.
   李朝期の武術の訓練と発展の証拠を見つけるようがんばったそうなんだが、
   中国、日本に民間武芸も道場も武芸者もごろごろいた記録があるわけで、
   苦労しなきゃ証拠が集まらないとはなさけないし、逆に大した発展が無かった
   証拠だろが。
   Conclusion
   This paper has tried to examine the history of the ChosOn dynasty
   with the view of finding evidence for the practice and development of
   martial arts. Where no direct evidence existed, the author has
   attempted to extrapolate from the military capability of ChosOn, and
   considering local attempts at defence when faced by outside
   aggression. After briefly reviewing the evidence for martial arts in
   late-KoryO, analysis of the changes brought by the first ChosOn kings
   was attempted. It would appear that existing martial arts,
   unsurprisingly, continued to be practised in the new dynasty.
   Evidence was found among the accounts of internal troubles, and
   Korean successes at reducing the waegu attacks.

673: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 12:44
   >>667-668の間違い。

674: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 15:44
   659
   >あるみたいだけど、テコンドーには空手にそっくりな流派とかないですね
   タンスド(スバクド)は空手そのものです。やってる型は平安、ナイファンチ、クーシャンクー
   ワンシュー、セーシャン、パッサイ。まったく同じ名前で、同じ型をやってます。
   ただ「朝鮮古来の武道」と言ってるだけで。
   

675: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/03(木) 19:58
   恥を知る韓国人。しかし、ここ欧州韓国学の掲示板でも被害者意識
   炸裂のトンデモ君が一杯いるなあ。
   http://www.mailbase.ac.uk/lists/korean-studies/2000-07/0120.html
   Subject: Taekwondo
   From: Michael Choi
   Date: 20 Jul 2000 - 10:25 BST
   Eee gad! Not Taekwondo! ★To refer to Taekwondo in Korean Studies is taboo
   and in some respects, it should be. Anyway, Lance's posting motivated me to
   discuss Taekwondo, Korea's "cultural export" among academics.
   Is Taekwondo really Korean? The World Taekwondo Federation (WTF) and its
   "headquarters" Kukkiwon (KKW) maintain that Taekwondo is Korea's indigineous
   martial art, a claim that is tenuous, at best. On another posting that I
   receive, namely the Dojang Digest, this question gets revisited. WTF/KKW
   constantly sight Koguryo Tomb Murals, Muye Tobo Tongji, and Guardian Statues
   in Sokkuram Grotto as evidence of Taekwondo. Without getting into the
   details, I believe that this is inconclusive evidence because most do not
   specifically site to uniquely Korean martial arts. Secondly, the practice of
   martial arts took a serious decline when Confucianism was adopted as the
   state ideology by King Sejong. What is accepted as a Korean martial art
   practiced at the time, namely Taek Kyon, was banned by King Sejong as he
   deemed it too violent. I saw a documentary on Taek Kyon the other day and it
   showed a recreation of a traditional match. Yep, it's pretty violent, fans
   get rowdy and start throwing rocks at each other, kinda like bar-room brawl
   contests. If I was king, I would ban it, too.
   This does not get to the most serious issue of Taekwondo's Korean origin.
   ★Actually "Taekwondo" did not exist in the Korean lexicon until the 1950's
   when many of the Karate schools in Seoul decided to "nationalize" their
   gyms. After the departure of Japan in 1945, Koreans who studied Karate in
   Japan started teaching in Korea and opened gyms, calling their styles Kung
   Soo Do, Tang Soo Do, Kwon Bup, etc. ★which all correspond to the
   Sino-Japanese characters Kara-te-do, Kara-te-do, Kem-po.
   中略
   Sadly enough, WTF/KKW does not admit it the Japan's part of developing
   Taekwondo and probably never will for public relation purposes. It's sad
   to see myth blurring reality.

676: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/04(金) 07:43
   研究進んでますね。ゆっくり読みます。
   >>671
   あっそうなんですか。さすがに民主主義の国だけの事はあるかも。
   その人ってあの名門大のコーチなのに大丈夫なんですかね?
   
   空手より魅せる格闘技を作ったし何よりオリンピック種目にもなった
   ので、少し向こうさんにも余裕が出て来たのかな。
   
   対外的にもそうして欲しいです。空手がルーツだけど朝鮮人は
   それを日本人よりも洗練させる事に成功した・・・・これでいいじゃない。
   ある意味この方が日本人に誇れるんじゃないかな。日本人もマジで悔しがって
   くれるよ。
   >>674
   くんすどって漢字だとどうなるんですか?クーシャンクー ・・・・・これって
   モロ中国語って言うか中国人の名前ですよね。琉球に来ていたんだから。
   こういう決定的証拠についてはどういう説明をするんだろ。
   
   しかし彼等は日本が文化を略奪したというけど、テコンドウ、クムドにしても
   日本がもたらした文化を誇りにしてますね。しかもウリナラの文化などと・・・
   物凄い自己矛盾です。
   日本が文化を略奪したという説の反証になります。

677: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/04(金) 07:50
   海東剣道関連サイトは為になりますね。
   彼等の剣法もshoddy mixture of japanese and
   chinese kendo
   でしかないと思いますけどね。一応、日本刀や両手剣は文化の伝播だ
   と捉えてるわけだ。はるかにマシではありますね。
   海東剣道だって韓国人なんだから、彼等の言説を利用すれば
   クムド側も文句つけにくいかもね。海東剣道にも都合が良かったり
   して。
   671さんの本は日本語訳出ないかな。

678: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/04(金) 08:06
   胸のつかえが落ちたというか胸が空くような思いというか・・・
   もういいじゃない。テコンドウ側も暗黙には認めてるし
   そういう本も出てる。
   わざわざ反論サイト作ったり、相手を貶めたりするのは大人気ないよ。
   潔くない。納得済みなんだから。ここは広い心で接してあげるべき
   
   ・・・・・・なーんて思う自分もある。こういう所が日本人の駄目なところ。
   現に出まわってる情報だし、アインシュタインはコリアン・・・・って程
   分り易いお笑い話ではないので、コリアンアメリカンとかコリアンの若い愛国心
   に燃えた人達は容易に信じちゃうし。オリエンタル空きの西欧人もカモになります。
   結局情報量の多い方が勝つので、その際は理屈は関係なくなります。同じ情報量
   で理屈に優れたものが勝つんだと思います。
   せめて日本で翻訳して欲しいですね。テコンドウが空手の朴李というのを知らない
   人がたくさんいる有様だし。韓国ではちょっと考えられないでしょう。
   
   空手団体がHPなどで、テコンドーについて常に触れる・・・ムキになってるみたいで
   武道家然とした感じがしない。
   この辺りがやっぱ日本人の美意識というか駄目なところだなぁ。
   こういうのって極真の大山さんならやってくれそうだし、頼もしく感じて
   しまう・・・・テコンドウがオリンピック化した際あの人なら多分なんか言ってくれた
   気がする。
   
   テコンドウやクムドのサイトや本をきちっと引用した上で反論すれば
   良いかな。クムドとかテコンドウは向こうから喧嘩売って火を付けてるからね。

679: 名前:名無しさん@そうだ選挙にいこう 投稿日:2000/08/05(土) 06:13
   おい、いま衛星放送でアメリカにある武道の道場が出てたけど、
   あれは韓国人のパクりだったぞ。名前がタイボクドーなんて言ってたけど、
   思いっきり空手のパクり。壁に韓国の太極旗とアメリカ国旗が掛けてて、
   なぜか日本の十二単の女の絵が書いてる。
   日本人の女の子が取材みたいので武術指導を受けるんだけど、
   指導する奴が韓国人じゃなく、なぜか白人の男がしていた。
   多分日本人が来たと知って、韓国人の師範はバレるのが怖くて
   人前に出れなかったんだと思う。
   韓国では黒は死を意味するから、黒帯じゃなくて濃い紺色を使うとか
   ヌカしてたけど本当? なんでそこまでしてパクりたいの?
   
   

680: 名前:>679 投稿日:2000/08/05(土) 06:25
   もう終わったの?NHK?連載するの?

681: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/05(土) 07:24
   http://www.hwarangdo.com/hwarang2.htm
   英語得意じゃないんで、これからゆっくり読みますが、
   しきりに出てくるSamguk Yusa って何ですか?
   Samguk Yusa by Ilyon, Translated by Tae-Hung Ha and Grafton K. Mintz.
   Yonsei University Press. Seoul, 1972. p.220-223.
   だそうですけど。
   武芸図譜通知は年代も書いてあるんですがSamguk Yusa って何時の本?翻訳された
   のが1972年?
   一応マトモそうな大学名が書いてあるけど。
   Samguk Sagi vol. 12 and 48. Own translation: Samguk Sagi (ha), translated
   into Korean by Yi, Pyong-do, Samguk Sagi: Wonmun-P'ton, Kug'ok-p'yon, Seoul:
   Uryu Munhwasa, 1980, p.383.
   英語が駄目なのかこれもよく分らない。
   
   日本でも宮本武蔵や坂本竜馬を扱った小説ありますが、彼等は実在した人ですよね。
   時代考証を考えてストーリーを作っていくと。
   
   このHPに出てくる剣豪Puryerang Hyojong-Rang とかって殆ど架空の人物?時代設定すら架空?
   これじゃあアニメのキャラクターを実在の人物として研究してるのと
   同じじゃん。流浪にケンシン?とかああ言うの。時代考証が出来てない分
   あちらの方が逝っちゃってるかも。
   そもそも韓国の最古の書物が12世紀のものだからその時点でからり怪しいのになあ。
   The first translation is from Samguk Sagi (compiled by a Confucian general) and the second is
   from Samguk Yusa (complied by a monk).
   本の名前ではあるのかなぁ。一体何時の本だ?
   
   Muyedobo T'ongji was compiled in 1789 and is thus very late as a
    Silla period source. I have not been able to find the story about
   Hwang Ch'ang in any other source.
   ここではちゃんと年数を入れてる。武芸図譜通知ってこういうお話みたいのも
   入ってるのかしら。1789年に明らかになった1000年前の人物って何?単なる
   物語でしょ?
   
   

682: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/05(土) 20:25
   あげます

683: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 04:56
   以前、旧スレで
   http://kumdo.co.kr/bongook.htm
   Source: "Korean Native Sword Technique" translated by John Della Pia, M.A.
   っていうのがあったけど、出典の怪しげなやつ。
   http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=korea&key=954056767&st=692&to=692&nofirst=true
   これは武藝圖譜通志からの引用か翻訳みたいね。
   http://www2.hawaii.edu/korea/bibliography/27.htm
   Della Pia, John. "Korea's Mu Yei Do Bo Tong Ji."
   Journal of Asian Martial Arts 3:2 (1994): 62-69.
   Della Pia, John. "Native Korean Sword Techniques Described
   in the Mu Yei Do Bo Tong Ji."
   Journal of Asian Martial Arts 4:2 (1995): 86-97.
   しかし、Journal of Asian Martial Arts とかKorea Journalって面白そう。
   ついでだから、こんなサイトも何かの役にたつかも。
   http://lcweb2.loc.gov/cgi-bin/query/r?asian/korbib:@FIELD(SUBJ+@band(+Tae+kwon+do+))
   http://lcweb2.loc.gov/cgi-bin/query/d?korbib:0:./temp/~asian_SOKG:
   Corea、Coreaと下らないことにこだわってるが、連中は表記って物を何だと
   おもってんだろな。KからCにすりゃ偉くなるとでもおもってんのか。

684: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 05:45
   >>681
   >しきりに出てくるSamguk Yusa って何ですか?
   >Samguk Yusa by Ilyon, Translated by Tae-Hung Ha and Grafton K. Mintz.
   >Yonsei University Press. Seoul, 1972. p.220-223.
   Samguk Yusa by Ilyonってこれかな。>【三国遺事】(1284)
    朝鮮高麗(コウライ)僧一念(イチネン)(1206〜1289)が撰述した朝鮮の略史5巻。
   1284年ころ完成。高麗の忠烈王の命により『三国史記』に漏れた遺聞を集めた
   補遺的なものを集録、風俗・地理などのほか、仏教説話も多く貴重な資料となっている。
   >Samguk Sagi vol. 12 and 48. Own translation: Samguk Sagi (ha), translated
   >into Korean by Yi, Pyong-do, Samguk Sagi: Wonmun-P'ton, Kug'ok-p'yon, Seoul:
   >Uryu Munhwasa, 1980, p.383.
   >英語が駄目なのかこれもよく分らない。
   Samguk Sagi vol. 12 and 48はこれか。>【三国史記】(1145)
   朝鮮高麗(コウライ)朝中期の学者金富軾(キン・フショク)(1075〜1151)らが
   撰述した朝鮮最初の正史50巻。1145年完成。高麗の仁宗の命を受け、紀伝体に撰述。
   >本の名前ではあるのかなぁ。一体何時の本だ?
   たぶん【三国史記】【三国遺事】です。花郎のことはどちらの本にも出てくるけど、
   日本語訳が出てるから、図書館でかりるのもいいかも。
   しかし、Part1、Part2これらを英語でよむのはつらいね。
   とくに最後のやつ。途中でくじけた。
   http://www.hwarangdo.com/hwarang.htm#partA
   http://www.hwarangdo.com/hwarang2.htm
   >>471で紹介してる花郎サイトのあたりをざっと読んでからの方がいいかな。

685: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 06:12
   しょうがない。三国史記、三国遺事を買おう。
   記述がデタラメでも三国史記という書物があった事までは
   詐欺ではないからね。
   
   三国史記って12世紀で朝鮮最古の書物なんでしょ。
   
   この時点で怪しいなぁ。以前にも本はあったんだろうけど
   本当に積み重ねてきた歴史の本なのかなぁ。
   普通はどこそこから出典とか書いてあってもいいけど
   そういう記述はあるのかな。
   
   本がなくなったんで、高麗が適当に民族意識高めるために
   作ったんじゃなかろーか。
   本がないんで韓国の歴史を残すという急務があったんじゃ
   ないでしょうか?

686: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 06:53
   Hwarangkwan Kumdo Forumの妄言Philがまた。。。
   http://pluto.beseen.com/boardroom/m/49500/View?n=00149
   ちょっと気になることが、
   I have yet to see the World Championship video, but one of the
   commentaries suggested a brilliant idea. Why not have Korean
   Kumdo (Chosun Sae Bup or Bon Kuk Kum Bup) perform alittle
   demonstration? Japanese swordmanship is great too but it is the
   same at every championship. Something alittle more different.
   I think this will be fantastic.
   世界剣道大会で韓国剣道の型を披露させてるってことは、IKFが認めたってこと?
   もしかして、韓国の昇段試験の型は本国剣法でやるのかよ?!
   Leeも健在だが、良い物書いてくれた。
   http://pluto.beseen.com/boardroom/m/49500/View?n=00161a00163&bydate=1
   re: korean swords
   You might want to try these sites.
   http://swordshop.co.krこれは例の朝鮮刀剣制作所のゆだぞ。
   http://www.mooyerang.co.kr/index.html
   http://myhome.shinbiro.com/~sehyundk/sehyunintro.htm

687: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 06:58
   朝鮮刀剣制作所
   http://trans.allkorea.co.jp/cgi-bin/unisoft_tg.cgi?URLNAME=swordshop.co.kr%2F
   国内で制作されるすべての種類の刀剣と日本で作られた名剣に行き痛めます
   http://trans.allkorea.co.jp/cgi-bin/unisoft_tg.cgi?URLNAME=swordshop.co.kr/newproduct.htm
   見たページに紹介される刀剣は金垣カンスンシク先生この財団法人韓米文化院
   と協賛で韓国を代表する無形文化財機能保有者達の作品を粟国巡回展示会に出
   品した作品として韓国産業デザイン振興円の韓国工芸文化ホームページでも紹
   介されている韓国刀剣文化の代表作品です。
   http://trans.allkorea.co.jp/cgi-bin/unisoft_tg.cgi?URLNAME=swordshop.co.kr/link.htm
   世界に広がる妄想の輪
   
   韓国産業デザイン振興円の韓国工芸文化ホームページ
   これ美味しそう、サイトどこにあるんだろ。はあと

688: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 07:17
   >>685
   金富軾は三国史記の序文でこう書いてる。
   高麗の貴族や役人たちは中国の歴史に詳しくても、わが国の歴史は知らない
   ということを早く気づかせるためにこの本を書いた。
   
   高麗王朝(918)
   契丹族遼侵入(993〜1019、3回)
   【三国史記】(1145)学者金富軾ら撰述。高麗の仁宗の命を受け、紀伝体に撰述。
   武臣政変(1170)
   モンゴル族元侵入(1231〜1259波状攻撃後、講和成立)
   元寇(文久の役1274)
   元寇(弘安の役1281)
   【三国遺事】(1284) 僧一念撰述。
   ざっと、高麗史を眺めると遼侵入の後だから、民族意識高揚みたいなものも
   あったかもね。韓国教科書では高麗朝の初期にも王朝実録を編纂したが、遼
   の侵攻で失われたとまたまた被害妄想爆発させてるけど。

689: 名前:>687 投稿日:2000/08/06(日) 07:24
   http://trans.allkorea.co.jp/cgi-bin/unisoft_tg.cgi?URLNAME=swordshop.co.kr%2F
   何故か訳が出てこないんだけど
   >国内で制作されるすべての種類の刀剣と日本で作られた名剣に行き痛めます
   こう書いてあるの?韓国で日本刀が製作されてもそれは日本刀
   だと思うんですが、なんでそれがコリアンソードになるの?
   ソード=日本のもの?
   http://trans.allkorea.co.jp/cgi-bin/unisoft_tg.cgi?URLNAME=swordshop.co.kr/newproduct.htm
   ここは画像が出ない。訳もなし。
   クッキーオンにしてるのになんでだろ?
   
   ここまで日本の真似して恥ずかしくないのかな?
   日本にオリジナルなモノなどあるわけがない!
   我々は真似していいんだ!
   って根拠の無いプライドでやってるのかしら。
   こっちが情けなくなるよ。
   日本戦後、この人達甘やかしすぎたね。

690: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 07:38
   http://members.aol.com/torm1358/dissert.htm#Muye%20tobo%20t'ongji
   ここって他にも色々リンクがされてて有用ですよ。例えば、
   http://members.aol.com/torm1358/KyOngDang.htm
   http://members.aol.com/torm1358/dissertcritique.htm
   武芸新譜は現存しないとか、武芸図譜通志には前期と後期でempty-hand technique
   called Kwonbopのイラストに差違があるとか、武備志のは直刀で武芸図譜通志のは
   日本刀を使った図であるとか。全部読んでないけど目についたとこ転載。
    I also mentioned previously that it is thought that some Japanese techniques
   were adopted by the ChosOn military. This, of course, shows that the ChosOn
    military were conscious of their duty and included what where recognisably
    superior fighting techniques. It should also be remembered that the ChosOn
   forces probably obtained many katanas during the long war and so these provided
   a ready supply of swords. As related above, King YOngjo also reformed the
    government and one of the books produced during his reign was the Muye sinbo.
    ★Unfortunately, this manual has been lost. However, from the references to it,
   it is clear that this manual recorded the Japanese techniques.
   To summerise then, Pak Chega had at least three military manuals to draw upon.
   These were, the old (Ming) techniques contained in the Chi-hsiao hsin-shu and
   Wubeich'i and the Japanese techniques recorded in the Muye sinbo. It it is
   important to note at this point that Pak was not a military man, he was a scholar.
   He was interested in modernising the military because that was important for
   the defence of the nation, but he was at the same time proselytizing the new
   Ch'ing learning. His knowledge of military matters, if he had any, probably
   came via the classics.
    Bearing this in mind what, therefore, does the Muye tobo t'ongji actually tell
    us about military techniques during the late ChosOn period. At first glance,
   one finds references to the above mentioned manuals and quotes from them.
   The illustrations closely resemble those found in the Ming manuals. That is,
   the manuals appear scholarly, and therefore perhaps casting doubt on the idea that
    the manual reflects military practises of the time. However, a closer examination
    shows differences between the illustrations and text contained in the Muye tobo
   t'ongji compared to the earlier manuals. For instance, the illustrations and text
    for the empty-hand technique called Kwonbop (which is originially described in the
    Chi-hsiao hsin-shu) are in a different order in the latter manual and include
   additional illustrations. ★Also, a set of techniques called Yedo which are
   illustrated in the Wubeich'i as using a strainght sword appear in the Muye tobo
   t'ongji with a katana. This suggests that the ChosOn military had adapted and
   changed the Ming techniques.
    Importantly, the Muye tobo t'ongji also contains techniques which are not r
   ecorded in the Ming manuals. Some of these techniques would seem to have survived
   from earlier purely native techniques, such as PonkukkOm. The horse techniques
   also seem to be illustrated uniquely in the Muye tobo t'ongji although there is
    no doubt that both the Japanese and Chinese military had long used horses.

691: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 07:41
   >Muyedobo T'ongji, vol.3. Translated by Chong, Ai Li. Muyedobo T'ongji
   >was compiled in 1789 and is thus very late as a Silla period source.
   >very late as a Silla period
   武芸図譜通知は李朝後期の作で、新羅の時代から相当時が経っている。
   >I have not been able to find the story about Hwang Ch'ang in any other source.
   しかもHwang Ch'angに関する記述はこれにしかない・・・・歴史的資料として、物凄く怪しいと
   言う事を認めているのね。
   >★"Native Sword" (Pon'gukkom)★ or "New Sword" (Shin'gom), to be carried
   >on the waist like "Sharp Sword" (Yodo).Travelers says that the sword was
   >invented and practiced by a Silla Hwarang, Hwang Ch'ang.
   ネーティブソード、新刀って腰に帯刀していたらしいが、これって侍の事言いたいのかな。
   帯刀するのは日本独特?暗に日本を意識してるのは分るけど。
   このNative Swordは日本刀だと言いたい訳?
   >Travelers says that the sword was invented and practiced by a Silla Hwarang,
   >Hwang Ch'ang. Legend says, that he went to Paekche when he was seven years
   old
   7歳?7歳で刀鍛冶だったの?
   美少年の兵士ってなんかトルコのイエニチェリ軍団ぽいですね。いったい百済のどの王が
   暗殺されたんだ?
   
   > Hearing the news, Silla people mourned his death and started sword
   >dancing by themselves with a mask modelled after his image.
   >This dance have been passed on until today (AD 1789).
   This dance have been passed on until
   today (AD 1789).・・・・本当かね。今もあるんですか?
   >Moreover, Silla's neighboring country, Japan (Wa), must have received
   >their "sword dance equipment" (sword techniques/"samurai swords") from
   >Hwang Ch'ang Rang and yet this cannot be examined today.
   must have・・・・に違いないって(笑)(sword
   techniques/"samurai swords")やっぱり日本刀って言いたいのね。いつの話か
   知らないけど、百済が滅亡したのは660年あるいは663年だそうだから、推して
   知るべしですね。
   日本刀の形が確立したのってせいぜい10世紀中頃らしいし。本国剣法が日本刀
   持って踊ってたのは上記の憶測から来てたのかな。だとすると200年前からこの
   民族は昔からあんなんだったって事になりますね。Hwang Ch'ang Rangのsamurai
   swordがタイムスリップして伝わったとか言いたいかもしれんが、日本刀形勢には
   段階があるみたいだし。
   

692: 名前:続き 投稿日:2000/08/06(日) 07:41
   >Since Hwang Ch'ang Rang was the founder of Native Sword, Mao Yuan-yi
   >of China presumed that the method of using the sword (Kombop) was
   >acquired from Choson - after it was compared with several
   >books from the western regions. Then, in that case Choson is stealing
   > her own techniques back, but if one compare with the versions in
   >the official history books of Japan, then Choson is stealing Chinese
   >techniques. No matter who is stealing and who has been handing down
   >techniques, now several hundred years have passed since Mao
   >Yuan-yi lived and therefore, who gave techniques to the others and
   >who received the knowledge is not really known.
   Mao Yuan-yi of China これって武備志の茅 元儀<ボウ, ゲンギ> の事ですか?
   クムドサイトではMo Won Euiでしたね。Wubeizhiと後にあるから武備志の
   作者の事ですね。どうも中国→朝鮮ではなく、朝鮮→中国って言いたいみたい
   だけど?Native Swordって言うのは一体全体どういうものだと言いたいのだ?
   武芸図譜通知で朝鮮→日本 武備志で朝鮮→中国だと言いたいのかな。
   あれれ?武芸図譜通知って1789年のものですよ。Hwang Ch'ang の情報
   はこの本しかないと書いてあるんだから・・・・Since Hwang Ch'ang Rang
   was the founder of Native Sword, Mao Yuan-yi of China
   presumed てなるわけないでしょう。茅 元儀<ボウ, ゲンギ>は武芸図譜
   通知は知らないのに。素人に論破されてどうすんだろう。そもそもNative
    Swordってどんなものだと言いたいんだ?日本刀なら倭刀として、宋の
   時代から日本のものとして認識されてるぞ。
   >after the Japanese invasion in 1592 and the Manchurian invasion
   > in 1636, Korean kings were mindful of military preparedness
   1592以降に中国の紀効新書に頼った事は載せないんですね。その編集版武芸諸諸も。
   武芸図譜通知なんて危機が去ったずっと後なのに、mindful of military preparedness
   って嘘過ぎ。
   >★japanese sword,★
   武芸図譜通知には日本刀の記述があり、
   >145 titles of books from Korea, China and Japan.
   日本の本を参考文献にしてるらしい。日本刀の祖はHwang Ch'angなのに日本刀と
   区別するわけ?本国剣法では思いっきり日本刀使って、Hwang Ch'angの
   剣舞をやってるんじゃないの?矛盾してますなぁ。
   

693: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 07:43
   >689
   >何故か訳が出てこないんだけど
   そうですかあ。allkoreaから直接行った方がいいかも。
   http://swordshop.co.kr
   あと日本刀の絵がいくつかでないのはあっちの掲示板でも指摘してるから
   クッキー云々の問題じゃないみたいです。

694: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 07:47
   武備志のは直刀・・・・又手剣だったんでしょうか?
   中国にもあるそうですからひょっとするとその事を
   茅 元儀は言っていたのか?
   片手か両手かどっちでしょう?図があるらしいのに何故か
   クムドサイトには載せませんね。変ですね。

695: 名前:ちょっと確認 投稿日:2000/08/06(日) 07:49
   >国内で制作されるすべての種類の刀剣と日本で作られた名剣に行き痛めます
   こう書いてあるのですか?
   
   オールコリアは反応する時としない時がありますね。
   突然反応したりする時もある。

696: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 07:55
   韓国に止めさせる事が出来ないならせめて剣道連盟は
   韓国武術の研究はしてるのかなぁ。それもしてなかったり
   して。
   
   日本と韓国が妥協するとすれば
   
   古墳飛鳥時代中国や韓国の刀が大量に輸入され
   韓国から刀鍛冶がやってきて日本の技術は
   発展した。・・・・これは日本語のサイトにいつも書いてある事。
   日本の刀や技術は大陸のものに遠く及ばなかったらしい。
   呉の刀が最高のものだった。
   
   日本人は日本刀を発明し、剣道が発達した。
   李朝に刀や技術が紹介され、韓国でも剣道をやっていた
   節がある・・・・・・。
   
   

697: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 07:56
   The King and officials of Silla were perplexed by the problem of finding
    the talented people. They then chose goodlooking men, made them put on
   make-up and called them Hwarang followers. A whole group gathered and
   therefore the wise men could select the good ones among them and put
   them in positions of service.)
   
   これ意味が良く分りません。直訳だと、新羅の王様は才能のある人を
   探す問題に、当惑した。彼等は容姿端麗の男を選び、メイクアップを
   施し彼等を花朗の追従者と呼んだ。全部のグループが集まり、従って、
   賢者は彼等の中から、優れた者を選べ、従事する状況に置く事が
   出来た・・・・・?
   
   ついでに英語の勉強もするつもりなので(笑)
   誰かちゃんと訳せる人いますか?

698: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 07:58
   >695
   そうです。全部書くと、
    朝鮮刀剣制作所 Sword Shop
    広報付け(直通)02-5432-428
   江乘式場である011-725-0664
    Sword Shop ESEOは
   国内で制作されるすべての種類の刀剣と日本で作られた
   名剣に行き痛めます
   その外にも刀を使い方を動映像EUで鑑賞なさいけます。
   刀剣購入に関する文意は
   E-mailでも電話をくだされば親切に助けて上げます。

699: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 08:45
   テコンドの歴史について書かれた論文の紹介は大変参考に
   なりました。
   これを聞き、驚きと、感慨を覚えます。
   
   韓国人の優れた層は物事をしっかりと認識しているのだと
   いうことが重要だと思います。
   ところが、われわれの耳に入る情報というのは、韓国から
   来るくだらない情報(剣道の話など)ばかりが、印象付けられて
   います。
   これは、日本側にも大きな責任があると思う。
   とくに教育とマスコミ。
   わけても歴史問題についてはとくにそうで、怪しいと思われる
   ことにも疑念を呈しようとしない。
   
   それが逆に日本人の韓国に対する猜疑心や嫌悪感を生む結果に
   なっている。
   
   韓国人の良質な部分を信頼して、われわれもまた身を正さないと
   ならない。

700: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 08:49
   >697 こんな感じですかね?
   >新羅の王と役人。。
   ってのは百済や任那、高句麗との戦争に必要なんでしょうね。
   >彼等を花朗の追従者と呼んだ
   彼等を花郎の郎徒と呼んだ
   >全部のグループが集まり、従って、賢者は彼等の中から、優れた者を選べ、
   >従事する状況に置く事が出来た・・・・・?
   全員集合した中から、賢き者達(花郎)は優秀な郎徒を選んで自分の従者に
   取り立てることができた。
   いきなりthe wise men がでてくるんじゃ何のことだかわかんないよねえ。
   英文が変なのでは?以下参照。
   http://www.hwarangdo.com/hrd1.htm
   Hwarang - "Flower man" The title given to the leaders of the youth group
   from the ancient kingdom of Silla. This title was only received by the
   youth of royal family members, and not civilians.
   Rangdo -"Fellows" The title of the Hwarang's fellows. These people were
   the students disciples, and soldiers of the Hwarang, and all came from the
    civilian class.
   Hwarangdo - "Flower knights" As a group of people, the Hwarang (leaders)
    and Rangdo (fellows), were also sometimes called by the name Hwarangdo.
   The "DO" suffix used here means a group of people. So the term Hwarangdo
    means a "group of flower men."
   Who were the Hwarang?
    One of the most significant acts by King Chinhung was the development of
   the Hwarang system within his military service. This Hwarang system was
   organized by groups of youths who went to mountains, rivers and other places
   of natural beauty to learn to develop human morality, loyalty, and mental
   and emotional control along with their combat skills. Through this development
    of strong mental, physical and spiritual training they were taught to act as
    models of their culture and chivalrous warriors. They were Silla's elite warriors.
    They were called Hwarang (Flower Knights) and Rangdo (a Hwarang's disciple
    or soldier). These were young men who exemplified the warrior-intellectual that influenced the Silla kingdom's history for many centuries. A 13th century monk
    recorded that the Silla kingdom had "issued a decree and chose boys from good
   royal families who were of good morals and renamed them Hwarang (title of leader
    or General). Hwarang Sor Won was to be admitted as a Kuksun (Dae Jang Gun or
    head General). This was the beginning of the Hwarang (JanGun-General) and Rangdo
    (SaByoung -soldiers) special integration within the military system. During
   this time these warriors were called Hwarangdo (Hwarang and Rangdo group of people)
    which means the flowering knights and their warriors.

701: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 08:54
   >ところが、われわれの耳に入る情報というのは、韓国から
   来るくだらない情報(剣道の話など)ばかりが、印象付けられて
   います。
   これは、日本側にも大きな責任があると思う。
   とくに教育とマスコミ。
   
   意味不明。剣道の話と、(日本)教育とマスコミがなんお関係がある?
   
   >韓国人の良質な部分を信頼して、われわれもまた身を正さないと
   ならない。
   
   大韓剣道会のトップが全部トンデモなのにどうやって信頼するんだよ?
   われわれもまた身を正さないと 、これまた意味不明。
   
   あんた変だよ。
   

702: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 09:20
   >>654-656
   >「テコンド現代史」(1999.3韓国ポギョン文化社発行)
   「テコンド現代史」これも実はパクリじゃねえのか?
   もっと前に外人が色々書いてるだろが。
   STUDENT FORUM from Korea Journal, Winter, 1995.
   Courtesy University of Montana Big Sky Taekwondo Association
   Problems in the Identity and Philosophy of T'aegwondo
   and Their Historical Causes
   By: Steven D. Capener
   http://www.bstkd.com/CAPENER.1.HTM
   "People and Events of T'aekwondo's Formative Years"
   by Dakin Burdick, 1996
   http://www.indiana.edu/~iutkd/history/tkdhist.html
   大東流だの、テコンドなどで妙なちゃちゃいれてるのがいるが、
   別の意図を感じるなあ。臭うだよ。
   韓国人にもちゃんとしたのがいる、日本のにも変なのがあるだろ。って
   いいたげに聞こえてしょうがねえぞ。
   何があろうとKumdoは絶対許さんぞ。

703: 名前:Masahiko投稿日:2000/08/06(日) 10:04
   >697さん
   「新羅国王とその臣下はどのようにして有能な人材を見つければよいのか
   途方に暮れた。そして、かれらは見目の良い男子に化粧をさせ花郎衆と名づけた。
   全ての集団(?)が招集され、それゆえ、その中から賢人によっていい人材が選ばれ、
   任務に命ぜられたのである。」
   ぐらいですか。多少意訳ですが。
   第二文は少し英文としては不自然です。
   

704: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 12:34
   >701
   意味不明はアンタの理解不足。

705: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 14:54
   >704
   なぜさげる?まともな日本語かけなくて恥ずかしいんだな、藁

706: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 18:01
   >704=699
   >韓国人の良質な部分を信頼して、われわれもまた身を正さないとならない。
   笑わせる。
   うそは泥棒のはじまりだ。ドロボー!
   http://www.punjae.com/punjae3/profile/right_m.html
   | 院長様 挨拶の言葉 | 設立者 略歴 |
   樹(木)を 愛する あらゆる 方達に
   私たち <コミタ鄙ケシソ・銀 1992年 7月 30日 門をあけた 以来 各国 言論と 著名人らが
   '世界 唯一の テーマ 公園'で(に) 認める 所です. 私が 1968年から 茨の薮で
   (に) 覆い被さった 荒蕪地を 開墾して この 公園を開けたことは, 消えていく
   ★700年 韓国の 盆栽 文化★を あらゆる 人々この自然の 摂理に よって お互い 愛して
   平和な 世の中を 作ることを願う 意味で(から)YUSSSEBNIDA. 時には 樹(木)を
   育てて 石を あの 運ぶが あまり 難しいので 空を 頻繁に 仰ぎ見ました. しかし
   その時ごとに 樹(木)らが<タレソャタヌ シキクョソ。 オカ・サ・・高(故) ささやいて,
   空と土地と 日差しと風(旋風)と雲と雨が降ってと なりと済州道(島)と
   愛する わが祖国 大韓民国が 30年間 陶瓦 今日に 至ることに 陳情(鎮静) 監査す
   る 心から 樹(木)を 愛する 全世界人に この 公園を 捧げます.
   盆栽芸術院 院長 性 儲ける 英
   設立者 略歴
   元 腸 : 成 範 永
   1939年 1月 19日 京畿道 容認出生
   1963年 済州道(島) 初めて訪問1968年まで済州道(島)に魅了になって30余回(順序)往来
   1968年 (荒蕪地を 開墾して 蜜柑,庭園樹,養豚,良友,観葉植物,盆栽裁培)
    請願清原)農場代表
   1980年 私庁 信用協同組合 創立 初代理事長
   1989年 社団法人 韓国盆栽協会 済州道(島)支会長(場)
   1991年 社団法人 韓国盆栽組合 済州道(島)支部長
   1992年 盆栽芸術院 開院
   1993年 全国観光農園協会 副会長 及び 済州道(島)支部長
   1995年 韓国館広狭会 中央会 休養業 協議委員会 委員長 (現)
   1997年 済州道(島) 観光協会 理事
   1997年 済州道(島) 観光協会 社説観光地 分科委院長
   1998年 韓国館広狭会 中央会 理事 (現)
   
   

707: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 18:02
   http://www.punjae.com/punjae3/dic/Right_m3.htm
   盆栽とは(の)
   1.盆栽の 正義
   生きている 樹(木)を 所在に決めて 自然より より 美しさを 探して 長い間の
    歳月を 通じ 人間の 正声と 技術で(に) 方に 植えて 育てる 樹(木)です.
   人間は 美しさを 探して さ迷うように 食べること, 見ること, 買うこと, (受ける)
   着ること 皆が(に) 押す 追求する 夢 <ネクチ> を 持って (生きる)住みますよ.
   誰でも 周辺環境が 美しい 家で(から) 美しい 定員を 持って 買うことが 希望で
   あることです. 小さな 空間で(から) 大自然を 庭に 移し 置いて 住むという こと
   を 考えだけでも 胸 薛レイ掛けて することだと 考えられます. 盆栽の歴史は 中国
   党やLAESU 始まって 考慮中葉に★ 韓国に 入って その後(の) 日本で(に)★ 渡って
   いったし 中国は 分境(盆景)だと して 韓国は 盆栽(盆栽) 日本(日本)は 本社二
   (盆栽Bonsai)と 呼んでいます. 本社二欄 名前で(に) 世界 100余個国に 拡散させて
    世界化しました. 日本は 1926年から 風前(国風展)名前で(に) 毎年 東京 上野公園
   中に 東京 美術館で(から) 展示会を 開催していて 天皇 または 受賞(首相,水上)
   が 直接 参観しています. また 歴代受賞(首相,水上)中 国民の 尊敬を 受ける方中
   から 盆栽協会 会長を迎えていて1989年 世界盆栽友好連盟を 創設して 4年に 一度ずつ
   世界大会を 戻って 開いています. 昨今には 世界 知識層と 共に 米国 ビル クリントン
   大統領が陶 深い 愛情を 持っていて 日本 盆栽協会から 贈り物(先物)を 受けて 監査
   の 心(気持ち)を 伝える 書信と クリントン 大統 領と 日本 呉BUJJI 受賞(首相,水上)
   が 共に 取った写真が 日本 春秋盆栽紙に 掲載になることもしました. 人も 性格と
   生じた もようが 違うように 樹(木)も 生じた もようと 性格が違うので 樹(木)の
    性格を学ばなければならず どうなので 優秀な 作品か 勉強して 狭い 空間で(から)
    健康に kiwi 花被告 実 結ぶようにして 美しさを 享有することです. 紙に 絵と文章を
   書く 作家の 心情で(に) (生きる)住んで 息を吸う 樹(木)を 花粉に 植えて 長い
   間の 歳月を 通じ 愛情を 持って 自らの 個性(開城)を 込めて 作品で(に) 育てて
   行く こ とが 盆栽でもあります. 数年 または 数十 年 培った 樹(木)も 夏期には
   一日だけ 放心して も 死ぬほかないです. 父母が 愛機を 産んできた 愛を与えて 教育て
    立派な 人間を 誕生させるように 盆栽も 彼と 類似河DAKOや しましょうか?
   http://www.punjae.com/punjae3/guest/Right_m4.htm中国要人も絶賛!?
   http://www.punjae.com/punjae3/gallery/gallery_1a-1.htmなかなかの枝振り
   http://www.punjae.com/punjae3/punjaeartpia/Right_m2.htm
   http://www.knto.or.jp/topics/etc/bonsai.html盆栽藝術苑

708: 名前:>706,707 投稿日:2000/08/06(日) 18:28
   盆栽に関してはほとんど知識がありません。
   どのへんがデタラメなんでしょうか。

709: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 20:19
   7百年の伝統があってどうして日本と同じ形なんだ?変じゃねえか。http://www.nova-ici.co.jp/station/snapshot/snap9904-2.html
   What are the basic elements of a Japanese garden?日本庭園の基本的な要素は何ですか?
   The Japanese garden is a combination of rocks, moss, water, and trees which reflect
   the natural world of mountains, oceans, and rivers.
   日本庭園は石、コケ、水、木などの取り合わせで山、海、川などの自然界を表すものです。
   What are its origins?その起源は何ですか
   Its fundamental ideals are said to have been influenced by the transfer of Buddhism
   from the mainland (Korea).
   基本的な原則は、大陸(韓国)から伝えられてきた仏教に影響されて生まれたものと考えられ
   ています。
   When did the bonsai tradition begin?盆栽の伝統はいつ頃から始まったのですか?
   The art of pruning and caring for miniature potted plants started in China more than 1,
   000 years ago, and was brought to Japan during the Kamakura period. Pines are commonly
    used with this as well.
   盆栽をせん定したり育てていく技術は中国で1,000年以上前に始まり、鎌倉時代に日本にもたら
   されました。盆栽にも「松」を使うことが多いです。
   http://www.inh.co.jp/~hayasida/report13.html
   中尾佐助「花と木の文化史」(岩波新書)には、盆栽の変遷と発達についての記述があります。
   「盆栽は、ハラキリ、カミカゼとともに国際的な日本語となっているが、盆栽の源は中国にある。
   唐代に盆景としてあらわれ、それ以来中国に現在まで伝えられている。盆景は鉢の中に植物を植え
   るが、石をそえることが多く、奇石だけを鉢に立てたものもある。これらは盆石とよばれる。中国
   盆栽は現在まで盆景、盆石が大きい部分を占めてきた。現在、中国では、何本もの枝をくねくねと
   曲げる「鮹造り」型の盆栽がかなり多くみられる。日本では中国の影響で、鎌倉時代の絵巻物に盆
   景、盆石がみられ、また、「鉢の木」型の盆栽も登場してくる。現在、日本の盆栽はほとんど全部
   が「自然美盆栽」という型になっているが、これが完成し普及したのは明治になってからである。」
   In "Hana to Ki no Bunkashi" by Nakao Sasuke, Iwanami New books, we can see the
    description on the transition and the development of Bonsai.
   "Bonsai is already an international word as well as harakiri and kamikaze, but its origin
    comes from China. It seems to have appeared as Bonkei in the To era (618-907), since
    then it has been handed down to the present day. In the way of Bonkei they plant the
    tree in the pot, frequently adding stones to it. And some are composed of only strange
    stones in the pot, which they call Bonseki. Bonkei and Bonseki account for most part of
    Chinese Bonsai. At present in China we can often see Tako-tsukuri (octopus-like method)
    type of Bonsai composed of many curved branches. In old Japan, Bonkei and Bonseki can be
    seen in the picture scrolls of the Kamakura period (1192-1333) under the influence of
    Chinese culture. At present the type of "Natural Beauty Bonsai" accounts for almost all
    of Japanese Bonsai, and it is since the Meiji era that this type was perfected and has
    predominated." (my translation)
   

710: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 20:24
   http://www.bonsaisite.com/history1.html
   A Detailed History of Bonsai...
   Bonsai first appeared in China over a thousand years ago on a very basic scale,
   known as pun-sai, where it was the practice of growing single specimen trees in pots.
   These early specimens displayed sparse foliage and rugged, gnarled trunks which often
   looked like animals, dragons and  birds. There are a great number of myths and legends
   surrounding Chinese bonsai, and the grotesque or animal-like trunks and root formations
    are still highly prized today. Chinese bonsai come from the landscape of the
   imagination and images of fiery dragons and coiled serpents take far greater precedence
    over images of trees- so the two forms of this art are quite far apart.
   With Japan's adoption of many cultural trademarks of China - bonsai was also taken up,
    introduced to Japan during the Kamakura period (1185 - 1333) by means of Zen Buddhism -
    which at this time was rapidly spreading around Asia. The exact time is debatable,
    although it is possible that it had arrived in AD 1195 as there appears to be a
    reference to it in a Japanese scroll attributed to that period. Once bonsai was
    introduced into Japan, the art was refined to an extent not yet approached in China.
    Over time, the simple trees were not just confined to the Buddhist monks and their
    monasteries, but also later were introduced to be representative of the aristocracy
    - a symbol of prestige and honour. The ideals and philosophy of bonsai were greatly
    changed over the years. For the Japanese, bonsai represents a fusion of strong ancient
    beliefs with the Eastern philosophies of the harmony between man, the soul and nature.
   In an ancient Japanese scroll written in Japan around the Kamakura period, it is
    translated to say : "To appreciate and find pleasure in curiously curved potted trees is
    to love deformity". Whether this was intended as a positive or negative statement, it
    leaves us to believe that growing dwarfed and twisted trees in containers was an accepted
    practice among the upper class of Japan by the Kamakura period. By the fourteenth century
    bonsai was indeed viewed as a highly refined art form, meaning that it must have been an
    established practice many years before that time.
   Bonsai were brought indoors for display at special times by the 'Japanese elite' and
   became an important part of Japanese life by being displayed on specially designed
   shelves.
   http://www.bonsai-nbf.org/
   National Bonsai Foundation Web site
   JAPANESE BONSAI COLLECTION
   CHINESE COLLECTION(なんか日本のと変わらないなあ)
   http://yonemura.co.jp/main/oversea/yunnan/enihaku/engeihaku4.htm
   昆明世界園芸博 中国館
   中国らしい盆栽、石組み、木などの盆養品の出展も多い。

711: 名前:名無しさん@1周年投稿日:2000/08/06(日) 20:25
   http://www.sandex.ab.psiweb.com/bube/bon-j3.html
   盆栽の歴史と心
   日本の盆栽は、茶道に源を発し、室町時代後期にお茶の栄えと共に発展し、江戸時代に入る
   と各大名から商人又町民まで幅広く盆栽を楽しめるまでになった。(盆栽のもっとも古い文
   献として、鎌倉時代に作られた『法然上人絵伝』に盆栽絵図が有り、その絵の時代背景から
   も平安時代にさかのぼると考えられている。)
   江戸時代は多くの大名たちの間で、盆栽鉢もブームになり盆栽鉢専属の焼き物師を抱えて、
   盆栽の競技会が模様されるまで、かなりの流行しこのころから『ぼんさい』と言う名称が起
   こったと言われています。
   このなごりの鉢として、お庭焼きと言う盆栽鉢が有ります。たとえば、徳川家が名古屋城内
   に残した尾張焼きといわれているお庭焼きが有ります。
   盆栽は、明治・大正・昭和・平成と時代が変わっても、大きく広がり人の手から人の手に、
   大切に受け継がれて来ました。たとえば、明治時代以降全国の盆栽を集め大きな展覧会が模
   様されるようになり、第二次世界大戦中において、戦火を逃れるときも、盆栽をリヤカーに
   載せ逃げ回った多数の人々によって、今日の今まで多数の盆栽の名品が、受け継がれています。
   又戦後においては、外国で愛好者が急増し、アメリカにおいて大きな展覧会がしばしば開催
   されています。
   http://www.chion-in.or.jp/c_03/mite/page1.html
   法然上人絵伝(国宝)
   宗祖法然上人の絵伝であるが、その誕生から入寂に至る行状のほか、法語、消息、著述など
   の思想もあらわし、さらに門弟の列伝、帰依者(天皇、公家、武家)の事蹟までをも含んで
   四八巻に構成している。
   後伏見上皇の勅命で、比叡山功徳院の舜昌法印(知恩院九世)が徳治二年(一三〇七)から
   十余年をかけて制作したと伝える。筆者については古来諸説があるが、様式は多様で徳治以前
   の画風を示す部分もみられる。特に前半部は、構図、賦彩ともに優れ、鎌倉後期の宮廷絵所絵
   師の画風を顕著にみせている。
   http://www.kyohaku.go.jp/mus_dict/hd26j.htm
   法然上人は、長承二年(1133)に美作国(岡山県の北部)の地方武士の家に生まれ、
   建暦(けんりゃく)二年(1212)に亡くなる
   http://www2.nsknet.or.jp/~takasimasa/
   盆栽の歴史 The history of BONSAI
   盆栽の歴史は古く、日本の文献に初めて登場するのは鎌倉時代(春日権現験記絵巻、国宝、
   宮内庁所蔵)です。そこには見事な盆栽が描かれています。日本人は昔から心のゆとりを求
   めて盆栽を楽しんでいました。鎌倉、室町時代には日本の伝統文化である茶の湯や能が受け入
   れられ、同時に盆栽も公家社会から武士の間へ急速に広まりました。
   参考資料:盆栽入門 歴史 日本盆栽協会金沢支部(北国新聞 1997年1月5日)
   http://www.tnm.go.jp/doc/Guide/Dyn/eyotei/eten02.html
   春日権現験記絵巻 鎌倉時代(1192−1333)延慶2年(1309) 宮内庁三の丸尚蔵館蔵
   http://www.kiis.or.jp/kansaida/takarazuka/takarazuka06.html
   山本の園芸、植木の歴史は古く、鎌倉時代には既に社会的地位を得ていた。桃山時代に山本の
   地で発明された木接術は、我が国園芸史上に金字塔を打ち立て、園芸先進地としての地位を確
   固たるものとした。
   この木接術の発明により、徳川時代に牡丹、杉、桧、明治時代に蘭、バラ、大正時代には庭園
   樹も栽培されるようになり、大きく発展をとげた。さらに昭和初期には、海外からの新しい園
   芸品種も導入され、海外との輸出入も盛んとなるなど、全盛期を迎え、日本三大植木産地の一
   つに数えられた。

712: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 20:27
   剣道と似てるかな。江戸時代に興隆したとこなんか。
   しかし、下のはちょっとどうかな。
   http://www.bonsai.co.jp/
   盆栽は、日本で生まれ、今や世界中に広まっている芸術であり文化です。
   『月刊近代盆栽』は世界一の内容と知名度を誇ります。
   はじめての人から上級者まで、これ1冊で満足できる充実の内容が自慢。
   親切でていねいな解説と、美しい盆栽の写真が詰まっています。
   Born in Japan, BONSAI is an art that is currently spreading throughout the world. The monthly magazine "KINDAI BONSAI" takes pride in having the best contents and popularity in the world. We are sure that the contents of this one publication can completely satisfy everyone, from the beginner to the experienced bonsai person. It is full of well written explanations and photographs of beautiful bonsai.
   http://www.inh.co.jp/~hayasida/report20.html
   日本庭園:
    日本庭園の様式はイタリア、フランスなどの欧米の様式と異なり、独特のものです。様式を
   決定する要素として、植物、気象、岩石、地形、その他の自然的要素、更に社会的、文化的、
   歴史的、科学技術的な要素を挙げることができます。風景式の日本庭園は大別して、築山(つ
   きやま)、平庭(ひらにわ)、露地(ろじ、茶庭)の3つが挙げられますが、築山の構成要素の
   1つに夕陽木(せきようぼく)があり、これには紅葉する広葉樹がふさわしく、西日をさえぎる
   役目があり庭の西側に植えられます。(住まいの庭園技能講座:日本園芸協会)
   ここにカエデ、サクラ、ウメなどが選ばれます。カエデとは直接関係ありませんが、同文献に
   よれば、中国庭園の特徴として太湖石の活用があります。太湖石は石灰岩で質が軟らかく、風雨
   により侵食され奇怪な形をしており、利用されるようになった、とあります。(杭州植物園)
   川端康成「美しい日本の私」のなかに次の記述もあります。
   「日本の庭園もまた大きい自然を象徴するものです。西洋の庭園が多くは均整に造られるのにく
   らべて、日本の庭園はたいてい不均整に造られますが、不均整は均整よりも、多くのもの、広い
   ものを象徴できるからでありませう。勿論その不均整は、日本人の繊細微妙な感性によって釣り
   合ひが保たれての上であります。日本の造園ほど複雑、多趣、綿密、したがってむずかしい造園
   法はありません。枯山水という岩や石を組み合わせるだけの法は、その石組みによって、そこに
   ない山や川、また大海の波の打ち寄せるさままでを現はします。
   その凝縮を極めると、日本の盆栽になり、盆石となります。」

713: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 21:42
   盆栽のこととか華道とかは「カラオケ・アニメが世界をめぐる」って本に
   でてますね。
   華道にいたっては、もはや日本がどうのこうのという次元でないほど世界中
   に広がっているみたい
   盆栽も中国語のPENJING(盆景)よりもBONSAI(盆栽)が共通語みたくなってるて
   

714: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/07(月) 06:31
   韓国人、もう駄目だ。

715: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/07(月) 06:33
   河野洋平君にこのスレッド見てもらおう。
   
   でもやっぱりニヤニヤ、バツの悪そうな顔してんの?

716: 名前:テスト 投稿日:2000/08/07(月) 06:42
   >>706-

717: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/07(月) 07:14
   >>706-2000

718: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/07(月) 08:45
   >717
   踏むとPC落ちるのか?
   こぎたねーまねはやめな、チョーセン人。

719: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/07(月) 09:01
   >>713
   >盆栽も中国語のPENJING(盆景)よりもBONSAI(盆栽)が共通語みたくなってるて
   >>706-707
   >http://www.punjae.com/punjae3/dic/Right_m3.htm
   >中国は 分境(盆景)だと して 韓国は 盆栽(盆栽) 日本(日本)は 本社二
   >(盆栽Bonsai)と 呼んでいます
   
   KENDOもBONSAIも日本発の世界共通語。
   KumdoとPunjaeってか。
   やることがワンパターンだわな。
   華道も言い換えしてるかな?

720: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/08(火) 05:42
   盆栽のルーツは中国の唐代の盆景だそうですが、日本では
   何時頃から盆栽の文字が現れたんでしょうか?
   http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=korea&key=961695039&st=711&to=711&nofirst=true
   では江戸時代からと書かれているのに?韓国が日本の直接なルーツの
   筈なのになんで韓国では日本式に盆栽と表記するのか?700年の歴史と言いますが、
   although it is possible that it had arrived in AD 1195 as there appears to be a
   reference to it in a Japanese scroll attributed to that period.
   日本では既に800年の歴史がある模様。
   >http://www.chion-in.or.jp/c_03/mite/page1.html
   >法然上人絵伝(国宝)
   >宗祖法然上人の絵伝であるが、その誕生から入寂に至る行状のほか、法語、消息、著述など
   >の思想もあらわし、さらに門弟の列伝、帰依者(天皇、公家、武家)の事蹟までをも含んで
   >四八巻に構成している。
   >後伏見上皇の勅命で、比叡山功徳院の舜昌法印(知恩院九世)が徳治二年(一三〇七)から
   >十余年をかけて制作したと伝える。
   時代合わせるの失敗しましたね。ひょっとすると一三〇七に合わせたのかもしれない。
   なんで盆栽と表記するのかな〜〜〜〜。
   
   剣道は割りと抽象的な言葉ですよね。剣の道ですから。
   盆栽ってちょっと分りにくい言葉ですね。日本人ですらそう。
   盆栽って江戸後期に出てきた言葉だそうですよ。700年
   の歴史がある韓国盆景?は盆栽とわざわざ名乗るのだよ。
   朴李丸だしでこの方があり難いかもね。バレバレだから。
   

721: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/08(火) 06:41
   >720
   >剣道は割りと抽象的な言葉ですよね。剣の道ですから。
   うん、でもそれは現在だからそうなんであって、『剣道』に武芸との関連
   で使用されたのは中国では漢書の剣道38編だけだよね、日本では>>129
   「1667年に、流名を廃し、阿部立剣道と称しました。」ってあるくらい古
   くから一応使われる。朝鮮ではそういう使用例はないでしょう。連中は言
   葉の使用がいい加減でこまる。花郎徒と花郎道も同じ発音で区別出来ない
   みたいだしね。ところで、
   中国古典から検索。『盆景』でヒット6件。盆石、盆栽はでないなあ。
   http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3/
   /~/通志、府志、縣志、廳志/臺灣通志/正文/卷二 物&#29986;/物&#29986;/草木類/草之屬 ... 124
   /~/通志、府志、縣志、廳志/臺灣通志/正文/卷二 物&#29986;/物&#29986;/草木類/竹之屬 ... 163
   /~/通志、府志、縣志、廳志/臺灣縣志/正文/卷一 輿地志一/輿地志/土&#29986;/竹之屬 ... 33
   /~/通志、府志、縣志、廳志/諸羅縣志/正文/卷十 物&#29986;志/物&#29986;志/物&#29986;/竹之屬 ... 221
   /選自【臺灣方志】/通志、府志、縣志、廳志/諸羅縣志/正文/卷十二 雜記志/雜記志/外紀 ... 286
   /~/采訪&#37636;、一般志書與輿圖/廈門志/正文/卷七 關賦略/關賦略/海關/關&#31237;科則/用類 ... 215

722: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/08(火) 06:58
   〜道っていうのもパクリですからね。行着くところ
   中国かもしれないけど。
   そもそも武道って言葉は日本人が考えたのだろうか?あるいは
   好んで使ったのかもしれない。
   
   パクリとは違うけどブルースリーのジークンンドウのドウ
   も日本の影響じゃないでしょうか?中国では武芸にあまり
   道とは付けないようだし。日本の影響と言うかアメリカでも
   〜ドウというのはポピュラーだったんでしょうね。
   
   倉田さんの自伝にリーの事が出てましたよ。嘘かホントか知らんが
   ヌンチャクをあげて、使い方も教えたと書いてある。
   映画での使用法にかんしては割と淡々としてます。
   
   ヌンチャクはちょっと当っただけで折れてしまうほどの
   破壊力のあるものなので、たすきがけで扱えるようなものじゃないんだって。
   リー自信、手が滑って何度も失敗したらしい。レプリカだからなおさら
   だってさ。みせる為のアクションだって。
   
   リーの映画のアクションに関してはかなり冷めた目で見ていますよ。
   
   倉田氏はエスクリマ・カリについてもあまり知らないのかも。

723: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/08(火) 07:34
   盆栽もクムドと同じパターンです。
   
   7・80年代に翻訳された韓国人の書いた日本及び韓国文化論を読んでください。
   「縮み志向の日本人」などが典型ですが、朝鮮半島の文人の自然観というのは、
   一切手をくわえない事が最高なんだそうです。
   日本庭園は自然を見立てている(シンボリズム)ので極端に手を加えています。
   盆栽は数十年もかけて植物に手を加えている=歪めていることですから、朝鮮半島の
   自然美からはかけ離れた存在です。朝鮮半島の自然観からは中国から伝わった盆景は
   ともかく盆栽は生まれません。
   韓国人の学者は植物を捻じ曲げる盆栽に 日本人の矮小性・歪曲性・残忍性を見出して
   いたはずだったんでよ。全然手を加えない韓国の庭園は、韓国人の大らかさや、物事を
   ありのままに受け入れる感性を現している、と言っていました。
   日本人もよく書いたちゃちな文化論ですが、わずか十数年前までは自分達がそう主張し
   ていたのです。それも一人や二人ではなかったはず。
   
   鎌倉・室町期以降の日本と李朝以降の朝鮮半島では文化の質が全然違っています。
   儒教の文治主義・自然は在るがままを尊ぶ事をとことん突き詰めてきた李朝500年の
   精神では知識階級から見れば武道も盆栽も相容れないはず。

724: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/08(火) 07:46
   >722
   武道じゃなくて武士道だよ。武道や武士ってのは721の検索でヒットするよ。
   武道って人名とかにも使うみたいだけど、例えば、
   1.亥 , 安 南 降 者 昭 國 王 、 武 道 、 文 義 、 彰 憲 、 彰 懷 四 侯 赴 闕
   2.父 武 道 侯 及 子 明 智 侯
   3.當 春 秋 之 世 . 文 武 道 墜 .
   4.大 將 軍 裴 思 諒 為 靈 武 道 行 軍 大 總 管
   5.置 司 總 管 . 五 年 , 以 武 道 鎮 置 廣 宗 縣 , 併 以 來 屬
   武士だと、こんな具合、
   [三]與 武 士 四 人 &#20465; , 夜 出 逢 盜 蘭 池 ,[四]見 窘 , 武 士 &#25802; 殺 盜

725: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/08(火) 07:56
   文 武 道
   これは文武両道とかって日本で使うやつかもね。「道」は日本の専売特許
   じゃないみたいね。ただし、日本人は大好きだけどね。それに「道」は
   老子には頻出するし、道教なんかでは重要な概念だよね。ただ日本人の
   使う「道」とは意味合いが違ってるかもね。禅や道教の影響が全然ない
   とはいえないけど、そこから、日本化したって感じかなあ。うまく言え
   ないけどね。

726: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/08(火) 08:25
   念のため、「茶道」、「華道」でも検索してみた。
   茶道は独立的には使用してないみたいね。
   華道は2番にあるけど、日本のとは違う意味で使ってるようだ。
   檢索條件: 茶道
   找到 6 段
   /選自【二十五史】/新校本清史稿/本紀/卷二十五 本紀二十五 宣統溥儀/宣統二年 ... 984
   /選自【二十五史】/新校本清史稿/志/卷一百十六 志九十一 職官三外官/鹽運使 ... 3351
   /~/新校本清史稿/志/卷一百十六 志九十一 職官三外官/庫倉?課河泊各大使\官 ... 3359
   /選自【二十五史】/新校本清史稿/志/卷一百二十三 志九十八 食貨四/鹽法 ... 3623
   /選自【二十五史】/新校本清史稿/志/卷一百二十四 志九十九 食貨五/茶法 ... 3651
   /選自【二十五史】/新校本清史稿/列傳/卷四百四十八 列傳二百三十五/ッ蕃 ... 12520
   1.. 置 奉 天 鹽 運 使 . 改 四 川 鹽 茶 道 為 鹽 運 使 , 茶 務 歸 勸 業 道 管 理 .
   2., 置 奉 天 運 使 一 人 , 復 改 四 川 鹽 茶 道 為 運 使 . 明 年 ,
   3., 運 使 、 鹽 法 道 、 各 道 從 九 品 , 鹽 茶 道 及 各 所 ? 未 入 流 .
   4.. 有 林 俊 者 , 官 鹽 茶 道 , 聽 民 穿 井 不 加 課 , 蜀 鹽 始 盛 .
   5., 後 歸 陝 甘 總 督 管 理 . 四 川 設 鹽 茶 道 . 江 西 設 茶 引 批 驗 大 使 ,
   6.. 光 緒 五 年 , 京 察 一 等 , 簡 四 川 鹽 茶 道 , ? 署 按 察 使 ,
    檢索條件: 華道
   找到 7 段
   /選自【二十五史】/新校本史記/書/卷二十五 律書第三 ... 1252
   同前 ... 1253
   /選自【二十五史】/新校本史記/列傳/卷一百二十六 滑稽列傳第六十六 ... 3208
   /~/新校本清史稿/列傳/卷四百八十四 列傳二百七十一 文苑一/申涵光張蓋 殷岳 ... 13321
   /選自【二十五史】/新校本清史稿/列傳/卷五百二十七 列傳三百十四 屬國二/越南 ... 14635
   /選自【諸子】/東觀漢記校注/卷十五 傳十/梁商 ... 599
   /~/通典/~/卷八十六 禮四十六 沿革四十六 凶禮八/喪制之四/薦車馬明器及飾棺/周 ... 2321
   1.,[六]雖 妙 必 效 情 , 核 其 華 道 者 明 矣 .[七]非 有 聖 心 以 乘 聰 明 ,
   2.. 核 , 研 核 也 . 華 道 , 神 妙 之 道 也 . 言 人 雖 有 微 妙 之 性 ,
   3., 等 比 祖 道 於 都 門 外 . 榮 華 道 路 , 立 名 當 世 .
   4., , 號 哭 東 華 道 上 , 觀 者 皆 飲 泣 . 裔 介 再 疏 爭 之 ,
   5., 共 分 十 三 道 . 此 時 未 陷 者 , 清 華 道 四 府 十 五 縣 ,
   6., 何 益 朽 骨 . 百 僚 勞 攘 , 紛 華 道 路 , 祇 塵 垢 . 雖 云 禮 制 ,
   7., 以 華 道 路 及 壙 中 , 不 欲 ? 惡 其 親 也 . 荒 , 蒙 也 . 在 旁 曰 帷 ,

727: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/08(火) 08:31
    日本的霊性。これを考えりゃもとがどこかなんて考えは本質を誤る。

728: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/08(火) 08:50
   >727
   神道のこと?

729: 名前:名無しさん@1周年投稿日:2000/08/08(火) 20:04
   >>690
   >武芸新譜は現存しないとか、武芸図譜通志には前期と後期でempty-hand technique
   >called Kwonbopのイラストに差違があるとか、武備志のは直刀で武芸図譜通志のは
   >日本刀を使った図であるとか。全部読んでないけど目についたとこ転載。
   訂正と追加。
   武芸図譜通志には前期と後期でempty-hand technique called Kwonbopのイラストに
   差違がある、これは間違い。Kwonbopが紀効新書のとは順序が違っていたり、イラスト
   が追加されたりしてるってことでした。失礼。それと、武備志のは直刀で武芸図譜通志
   のは日本刀を使った図であるというのはa set of techniques called Yedo に関してのこと。
   以下、http://members.aol.com/torm1358/dissertcritique.htmでの追加情報。
   武芸諸諸は紀効新書のコピーで、しかも壬辰倭乱時にできた粗悪品とのこと。
   大韓剣道サイトで絵図だけだとか何とか低評価だったのはこのことだったのかな。
   For our purposes, this reform movement gives us an insight into ChosOn
   military practises during the 18th century. As related above, during
   the Hideyoshi invasion, the ChosOn military obtained the then current
   Ming military manual the Chi-hsiao hsin-shu ( or Jixiao Xinshu.
   Pronounced Kikyo Sinso in Korean and can be translated into English
   as the New Text of Practical Tactics). This was copied by the ChosOn
   military and called the ★Muye Chebo. I noted that the quality of reproduction
    was low, probably because it was produced during wartime, and that as far
    as I can tell, the sections on battlefield tactics and training found in
   the Ming original had been dropped. This manual was probably still the basis
    of military training in the 18th century.
    However, before it had collapsed, the Ming had produced another military
    manual called the Wubeich'i (there are others, but this is considered the best
    and most influential. Indeed, the modern Chinese army has recently reprinted
   in modern format all(?) the Ming and Ch'ing military manuals. The reprint runs
   to at least thirty volumes). Inevitably, the ChosOn military obtained a copy
   of this manual, possibly via the same dubious method they obtained the Chi-hsiao
    hsin-shu. I don't have the date with me, but I think they may not have obtained
   the manual until the Ch'ing were victorious, which might suggest that either Ming
    reminents supplied the book, or a bribe was paid to Ch'ing officials (I may have
   read that this manual was suppressed by the Ch'ing, but I can not be certain).

730: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/09(水) 01:50
   >>723
   日本のものが海外で受けると、パクルわけね。
   
   分り易い価値観の人達だ。
   
   日本人のものは認めないが、日本人のものが海外で評価されるのも認めたくない。
   外人に評価されたい。
   
   従ってパクル。価値基準が常に外向いてるね。

731: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/09(水) 01:51
   >>723
   日本のものが海外で受けると、パクルわけね。
   
   分り易い価値観の人達だ。
   
   日本人のものは認めないが、日本人のものが海外で評価されるのも認めたくない。
   外人に評価されたい。
   
   従ってパクル。価値基準が常に外向いてるね。

732: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/09(水) 07:36
   >>672-673
   >朝鮮の剣法には壬辰倭乱以後に日本刀を取り入れて刀が曲がってきたとか
   >書いてあるね。朝鮮通信史の護衛兵の刀は曲がっているとか出てる。
   >690
   >the ChosOn forces probably obtained many katanas during the
   >long war and so these provided a ready supply of swords.
   
   http://www.biwa.ne.jp/~kannon-m/hosyu-3-2.htm
   朝鮮通信使は慶長12年(1607)以来文化8年(1811)まで12回来た。
   軍官に注目。日本刀を持ってるみたい。
   武藝新譜(1759年)、武芸図譜通志(1789)に日本刀だかその刀法が記載されてるよう
   だから、李朝の軍官が日本刀を装備はしてたみたいだな。実際に使いこなせたり、
   供給能力があったかは大いに疑問だけど。

733: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/09(水) 07:46
   >731
   日帝が自分らの民族性を圧殺しただの、文化簒奪しただの、文化は過去
   すべて教えてヤッタだのと教育されてきてるからね。日本のものを盗む
   のになんら良心の呵責はないのだな。

734: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/09(水) 10:37
   >>607
   剣道スレを紹介してくたんですね。ありがとう!
   
   大日本史は水戸光圀の編纂
   http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6199/
   お薦めリンク 「新・剣道の起源は韓国にあり!」
   水戸光圀ぢゃ。韓国人が剣道の発祥は我が国で宗主国だと妄言を吐いておる
   のは御存知かな? 試合ルールが同じで日本風の竹刀や防具を使っているの
   におかしいとは思わんか?
   中略
   さて問題の論争のスレッドはここぢゃ(旧板)、長文なので読むのが大変な方
   は投稿番号394〜401番が内容を要約していて分かりやすいぞ。現在論争をして
   いるのはここぢゃ(新板)。

735: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/10(木) 08:24
   >>598
   >ここすごい!有名なのかな?知らなかったよ。
   非常に良質な日本情報を英独語で提供してくれていると思う。頭が下がる。
   このSchauweckerと名乗るWebmasterはドイツ系かな。
   http://www.japan-guide.com/e/e440.html
   This web site exists since July 2, 1996.
   It is maintained by Stefan Schauwecker.
   It is updated on a daily basis.
   ・THE PURPOSE
   Schauwecker's Guide to Japan is a free online guide that offers
   information about traditional and contemporary Japan.
   links to other Japan related online resources.
   a forum for international communication.
   We want this site to be a starting point for online research on Japan
   for tourists, students, hobby cooks, and everybody else. In addition,
   we intend to promote inter cultural communication and understanding and
   hope to help reducing widespread ignorance.
   ・THE CONCEPT
   Our web site consists of several sections:
   This guide is available in English and German. Only the penfriend section
    is also available in Japanese.
   ・ ETC.
   This site is not related with any educational institution or government.
   Even though we have tried to make the information on this web site
   as accurate as possible, there may exist some inaccuracies.
   ・Our Favorites http://www.japan-guide.com/e/e420.html
   茶道 Chado, the way of tea
   http://www.art.uiuc.edu/japanhouse/tea/mainTOC.html
   
   しかし、これは。。。。残念だ。
   RELATIONS TO ASIA http://www.japan-guide.com/e/e2241.html
   KOREA The Han World  http://www.han.org/ !!!!!!!!!
   トンデモ連中もいるという実状報告と言うことか。犯の野郎のために、
   Webmasterの努力to help reducing widespread ignorance が台無しだ。
   SHIT!

736: 名前:小話 投稿日:2000/08/11(金) 01:37
   半島のヒトラー(笑)と呼ばれた官僚が、剣道の型を取り入れた
   「皇国臣民体操」を発案したんだって。
   
   剣道っていうのは日帝時代に伝わったおぞましいものなんだよ。
   だ〜け〜ど、それに変る文化を提示できないのね。
   本音はすばらしい!だろう。

737: 名前:小話 投稿日:2000/08/11(金) 01:38
   半島のヒトラー(笑)と呼ばれた官僚が、剣道の型を取り入れた
   「皇国臣民体操」を発案したんだって。
   
   剣道っていうのは日帝時代に伝わったおぞましいものなんだよ。
   だ〜け〜ど、それに変る文化を提示できないのね。
   本音はすばらしい!だろう。

738: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/11(金) 10:18
   >>667
   > but many were also applied to horse.
   韓国がホッケーは韓国オリジナルと言ってたけど、これのオリジンも
   武芸図譜通知かもね。馬に対する拘りはかなりのものです。
   韓国ホッケーの起源は馬の上に乗ってやるものと、このスレッドに
   ありました。所謂poloですね。イギリスpoloの起源はペルシアらしい
   ですけどね。
   >>668
   KyOngdangというのも流派の名前みたいですね。
   http://members.aol.com/torm1358/KyOngDang.htm
   KyOng Dang is a Korean martial art that was developed in the
   1960s. It was developed by one man and is based on a ChosOn
   military manual called the Muye Tobo T'ongji.The manual covers
   empty-hand, sword, spear, and various other weapons techniques.
    KyOng Dang has tried to recreate all of these techniques,
   ★except for those on a horse.★
   >>668
   Recently some of the techniques in this manual have been
   resurrected under the name of ★KyOngdang ★ (though,
   unfortunately, ★not those to do with the horse★).
   
   For instance, if one compares the original print of a pattern
   called ★ponkukkOm ★(see plate e),
   このponkukkOmというのは
   >>663
   "Native Sword (★Pon'gukkom★) or "New Sword" (Shin'gom),to be
   carried on the waist like "Sharp Sword" (Yodo). Travelers says
    that the sword was invented and practiced by a Silla Hwarang,
   Hwang Ch'ang.
   Pon'gukkomこれですね。 Hwang Ch'ang. が発明したと言われる新刀
   です。この新刀で本国剣法を演じたと。★しかしどこにも本国剣法という
   名が出てこない★。本国剣法というのももしかしたら、後世の造語かも。
   >>668
   The original print shows a medium-length curved blade, such as a
   katana, while the modern  renderings  opt for a★ Chinese style,
   straight-bladed perfomance sword★ (Kim KwangsOk) and a
   very-long sword (changgOm) by the KyOngdang practitioners.
   
   If this art has been handed down from Silla times, then it would
   presumably would have been intended for use with a Chinese-style
    sword because the curved bladed sword only appeared after the
   Imjin War.
   
   Kim, then, appears to be attempting to recreate the original form
   of the pattern.This would suggest that the sword arts had, for a
   long while
   KyOng Dangの創始者のキムも矛盾に気付いていたようですね。新羅時代の
   剣法なのに、日本刀を用いるのはおかしいと。我々日本人も変だなと
   思いましたからねぇ。当たり前ですよね。双手剣も嘘でしょうね。
   
   ここのサイト画像も載せて欲しいなぁ(see plate e)(see plates f & g )
   とかあるけど。
    because the curved bladed sword only appeared after the
   Imjin War.
   曲がった刀が出てくるのも秀吉の侵攻以来だったんですね。
   >Moreover, Silla's neighboring country, Japan (Wa), must have
   >received their "sword dance equipment" (sword
   >techniques/"samurai swords") from Hwang Ch'ang Rang and
   >yet this cannot be examined today.
   http://www.hwarangdo.com/hwarang2.htm
   このサイトではこんな無理な主張してるけどね。電波入ってます。
   
   sections on Chinese and Japanese martial arts.
   これ見てみたいですね。chedokkOmや The empty-hand
   techniques, called kwonbOp,は戚継光(the Ming general Yi Yongson)
    の紀效新書ですね。he empty-hand techniques・・これは片手剣のこと
   かな?紀效新書の流れをくむ事が分りますね。then they probably
   replaced subak,subakって何ですか?そもそも有用な武術があっ
   たら、中国に学ぶ事もないし、とっかえる事もないでしょうに。
   While waegOm represents the techniques the Japanese samurai used
   during the Imjin war.
   waegOm は漢字だとどうなりますかね?武芸図譜通知に倭の刀法が出ている
   のか。参考文献目録もあるらしいから、どんな日本の書物を参考にしたか
   くらい分る筈です。
   
   

739: 名前:続き 投稿日:2000/08/11(金) 10:19
   Plate I further illustrates the problems of interpretation of the
   manual. This page, from the Seoul' university's kyOngdang club's
   manual, gives the original Chinese (bottom right), the original
   mixed script (bottom left), and the modern interpretation (top),
   which is, incidentally, different from both Sim UsOng's and Kim's
    books. This further confuses attempts to interpret the Muye tobo
   T'ongji.
   うーん。なんか中国武術の解釈も原本から変えてるみたいですね。
   中国武術に勝手な解釈入れてウリナラのものにしようというわけか。
   武芸図譜通知ですでにその努力が払われたのかもしれない。
   the original Chinese →紀效新書、the original mixed script →
   武芸図譜通知 the modern interpretationこれが復刻版か?
   
   Sim UsOng'・・・・この人は誰でしょう?Kimこの人はKyOng Dangの人。
   
   As well as written explanations, the Muye Tobo T'ongji
   also gives two types of diagrams for the major patterns. Examples
    can be seen in plates J and K. Plate J illustrates the kwonbOp
   empty-hand techniques. As well as the picture representations, the
    Chinese names of the moves are also given in a separate diagram.
    Plate K shows a pattern using a Chinese halberd.
   図にも混乱があるんだって。ちょっとこれが一番訳しにくい。分らない。
   紀效新書と武芸図譜通知を言ってるのかな?Plate Jはthe kwonbOp
   empty-hand techniques.で動きにも中国名が与えられている?
    Plate K では中国式のおのやりを使っている?
   紀效新書の図に関して二つの解釈の図を用意した?どなたかわかる方
   いらっしゃいませんでしょうか?
   
   http://members.aol.com/torm1358/KyOngDang.htm
   even a cursory glance at the illustrations, that are ★inevitably
   reprinted,★ shows that the techniques described in the manual ★
   bear no relationship ★to the contemporary martial art under
   discussion.
   The manual was ★reprinted in a modern format,★ probably during
   the 1970s, and it was probably after this that the various martial
    arts in Korea began to take an active interest in the techniques
   described in the manual. During the 1970s and 1980s several Komdo
   groups also began to turn to this manual for inspiration/confirmation
   of that style's ancient origins.
   原本からかなり可能性ありますね。だから最終的には原本
   を突き詰めてみないといけないかも。もしかしてなかったりして??
   このサイトの人はかなり冷静ですね。興味半分にやってる外人
   って感じ。
   (though still heavily showing its Japanese origins). なんて言ってるし。
   
   

740: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/12(土) 07:10
   >>665
   
   >東國輿地勝覧 (復刻版が1912かな)には新羅人黄窓が剣舞をえさに百済王を刺したので、
   >百済人は彼を殺した。新羅人は悲しんでその顔姿を型どって仮面を作って被って剣舞を
   >踊ったと記す。それが今も伝えられている。倭が新羅と隣接しているから剣技と剣舞が
   >伝えられた。<武藝圖譜通志>とか<東京雑技(東京雜記)>は<東国輿地勝覽>を引用したそ
   >うであるが、 <東国輿地勝覽>はどういう文献を参考にしたか明らかにしなかった。
   >>663
   I have not been able to find the story about Hwang Ch'ang in any other
   source.
   http://www.hwarangdo.com/hwarang2.htm
    Hwang Ch'angがが新刀を発明した事、剣舞を踊って、百済の王を刺した話、 Hwang Ch'ang
   の話は武芸図譜通知にしかないらしい。
   >東國輿地勝覧 (復刻版が1912かな)には新羅人黄窓が剣舞をえさに百済王を刺したので、
   >百済人は彼を殺した。新羅人は悲しんでその顔姿を型どって仮面を作って被って剣舞を
   >踊ったと記す。それが今も伝えられている。
   
   ><武藝圖譜通志>とか<東京雑技(東京雜記)>は<東国輿地勝覽>を引用したそ
   >うであるが、 <東国輿地勝覽>はどういう文献を参考にしたか明らかにしなかった。
   ちょっと調べてみましたが、東国輿地勝覧(1480)新撰東国輿地勝覧(1530)だそうです。
   竹島問題でよく引き合いにだされております。剣道では0。
   年代的には武芸図譜通知よりかなり前。東國輿地勝覧→ 武藝圖譜通志でしょう。
   黄窓これはローマ字読みだとどうなるんすかね。日本ではファンと言いますけど。
   ファン→Hwang? 窓→Ch'ang?
   
   東國輿地勝覧→ 武藝圖譜通志で適当に名前を付けて花朗徒を作ったのかな。
   黄窓= Hwang Ch'angだとすると、全く同じ話であって、
   I have not been able to find the story about Hwang Ch'ang in any other
   source. でもなさそうなんですが。
   武藝圖譜通志→東國輿地勝覧 (復刻版1912)なんて可能性もありますけど。
   665の情報ってどこから持って来たんですか?大韓剣道協会(連盟?)では剣舞があっ
   て、日本の雅学に影響を与えたとなってるけど。
   

741: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/12(土) 07:22
   >>666
   The Jixiao Xinshu これが紀效新書(きこうしんしょ)
    (the Ming General)Qi Jiquang  これが戚 継光(せきけいこう)
   か。日本語の発音と全然違いますね。中国発音かな?
   history suggests that the Koreans acquired the document by dubious
    means during the latter stages of the Imjin War (1592-1598)
   dubious疑わしい?どういう意味っすかね。どうやって獲得したか明瞭じゃないって意味
   かな。
   
   (It is doubtful that the Ming would have freely given up such an important
    military document to the Koreans, especially when a mere 36 years later,
   in 1636, the Ch'ing (Manchu) Chinese forced the capitulation  of King Injo
    and demanded Korean troops to assist in the subjugation of the Ming.)
   
   ?読解力不足。満州族の手下になった朝鮮だったら、紀效新書を教える事はなかっただ
   ろう?
   
   The Sok Pyungjang Tosul was probably based on a copy of the Jixiao Xinshu,
   
   The Sok Pyungjang Tosul これって武芸諸諸?ですかね?発音が全然違うっ
   ぽいけど。
   The Sok Pyungjang Tosul was probably based on a copy of the Jixiao
    Xinshu, while the Muye Tobo T'ongji, composed in 1790 and containing
    sections on armed and unarmed combat, as well as cavalry and infantry
    tactics, is a copy of the Sok Pyungjang Tosul.
   これ見る限り武芸図譜通知も武芸諸諸?のコピーみたい。
   >The sword forms used in modern Haedong Kumdo were gleaned from
   >those contained within the Muye Tobo  T'ongji.
   毎度ですけど、紀效新書の倭寇の刀法が鍵握ってるね。

742: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/12(土) 18:45
   >>738
   >sections on Chinese and Japanese martial arts.
   >これ見てみたいですね。chedokkOmや The empty-hand
   >techniques, called kwonbOp,は戚継光(the Ming general Yi Yongson)
   >の紀效新書ですね。he empty-hand techniques・・これは片手剣のこと
   >かな?紀效新書の流れをくむ事が分りますね。
   
   the chedokkOm was one of the techniques brought by the Ming general
   Yi Yongson during the Imjin War.
   このthe Ming general Yi Yongsonってのは文禄の役(1592)で兄弟で活躍した
   明の将軍、李如松(兄)か李如栢(弟)のことじゃないですかねえ。紀效新書
   (1561or1595年) の戚繼光(威継光)(1528?-1588?異説有り) ではないですよ。
   文禄の役の当時にはもう生きてませんから。chedokkOmってchedok剣か、何
   だろねえ。>>309『紀效新書』の著者威継光が1561年に猿飛陰流目録(傳授秘
   法之書)を入手し、茅元儀がその目録(一部を?)『武備志』(1621)に記載した。
   猿の刀操図(7匹の猿)。 ってことしか未だに我々は知らないね。
   The empty-hand techniques, called kwonbOp, are also based upon
   Chinese techniques.
   このempty-hand techniques, called kwonbOpってのは拳法という空手技法の
   ことでは?つまりkwonbOpとは拳法。GumbopとかKumbopとかKombopなら剣法ね。
   例えば、http://www.hwarangdo.com/hrd1.htmでは
   the secret ancient Hwarang combat skills called Um Yang Kwon ★陰陽拳.

743: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/12(土) 18:46
   >>738
   >then they probably replaced subak,subakって何ですか?
   >そもそも有用な武術があったら、中国に学ぶ事もないし、とっかえる事
   >もないでしょうに。
   
   高麗時代のsubak (手拍 or手縛 )で拳法なのか剣法なのかも本当は分かって
   ないみたいですね。多くのサイトでは漢字からテッキョンの前身の拳法だと
   推測してるみたいだけど。
   http://members.aol.com/torm1358/dissert.htm#Muye%20tobo%20t'ongji
   As to the martial arts of the time, little is know. The official
   records of King Uijong (1146-1170) mentions a martial art called
   subak (手拍 or手縛 ).★ However, we do not know much about the art;
   whether it was predominately a weapons art, or an empty-hand art. ★
   Certainly, the interval between this reference and the demise of
   the dynasty is great. Moreover, some writers have suggested that
   the Mongols suppressed KoryO's military techniques and that the old
   skills were lost.8 They argue that subak was mostly forgotten and
   only practised by a few in 'secret'.
   
   >While waegOm represents the techniques the Japanese samurai used
   >during the Imjin war.
   >waegOm は漢字だとどうなりますかね?武芸図譜通知に倭の刀法が出ている
   >のか。参考文献目録もあるらしいから、どんな日本の書物を参考にしたか
   >くらい分る筈です。
   
   waegOmは倭刀でしょう。>>303参照。苗刀”倭刀”ともいう。

744: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/12(土) 18:47
   >>739
   武芸図譜通志には元々、中国語(つまり漢文のみ)のとハングル中国語混合文
   の2通りがあったのではないですかねえ?だからOriginalと書いてるのでは?
   現代版は何回か出版されてるようで、例えば
   http://members.aol.com/torm1358/KyOngDang.htmでは、
   The manual was reprinted in a modern format, probably during the 1970s
   1970年代出版したようだし、最近のでは同志社大の蔵書の武藝圖譜通志 は
   [ソウル] : 弘文閣, 1990.1 772, 5p ; 26cm 本文言語 中国語 朝鮮語
   です。Sim UsOngの本とKim本はどちらも現代版だと思う。この現代版の2つでも
   取り上げてるページに差違があって、こうしたことが、武芸図譜通志の解釈を
   ますます混乱させてる、ってことかな。さらには武芸図譜通志自体のイラスト
   にもkwonbOpをempty-handにしたり、Chinese halberdにしたりの混乱があるって
   ことではないでしょうか。
   
   >>740
   >ファン→Hwang? 窓→Ch'ang?
   A modified form of the McCune-Reishauer system
   for romanizing Korean words and names だと、hwang 黄 ch'ang 窓ですから、
   Hwang Ch'angは黄窓でいいみたいです。
   >665の情報ってどこから持って来たんですか?
   大韓剣道協会からですよ。

745: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/12(土) 18:51
   >>741
   >dubious疑わしい?どういう意味っすかね。どうやって獲得したか明瞭
   >じゃないって意味かな。
   紀效新書(1561?)を朝鮮が入手するのに怪しげないかがわしい方法を
   用いたってことでは?
   
   >?読解力不足。満州族の手下になった朝鮮だったら、紀效新書を教える
   >事はなかっただろう?
   こっちは武備誌(1621年)の入手も紀效新書と同じ不正な手法をもちいて
   手に入れたのかもしれないと推測してるだけで、入手と時期の記録がない
   ので色々推測してるだけみたい。
   たとえば1618年の女真vs明のサルフ決戦では朝鮮軍1万以上が明側について
   参戦してる。朝鮮の役のお返しかな。1637年には女真に対して朝鮮は城下の盟
   の屈辱を味わってるから、清の子分であるなら清朝から入手するのはそんなに
   困難ではなかったおもうけどなあ。
   
   >The Sok Pyungjang Tosul これって武芸諸諸?ですかね?発音が全然違うっ
   >ぽいけど。
   武藝諸譜(武芸諸譜)(1598年)Muyejebo
   武藝新譜(武芸新譜)(1759年)Muyeshinbo
   って感じだから、武藝諸譜じゃなでしょう。武藝圖譜通志に載ってる何かでは?

746: 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/12(土) 18:58
   >>743
   >waegOmは倭刀でしょう
   訂正。倭刀じゃなくて倭剣かな。