ご隠居っ、あっしが奴らの悪事を調べてめぇりやす!!ふむ頼んだぞ弥七、日の本のためぢゃ。ふぉっ、ふぉ、ふぉ、ふぉ

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冷戦末期のオリンピック / スパイと指紋押捺制度 / 植民地と選挙制度

徴兵・志願制度と朝鮮人軍人の役割 / 創氏改名



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ぢぢさまの『ちょっとだけ昔話』スレッド
1 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 12:39
 まだまだぢぢさまのためになるお話を聞きたいっ!
 というわけで、過去ログのサルベージもよろしくお願いします。


2 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 14:55
ぢぢさまよ、早く出てきておくれ


60 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 09:41
若い在日の子なんかは、同胞のとんでもない美化話ばかり聞かされているから、
全然知らないだろうね。「誰のせいで、わたしらが日本にいるんだ」とか、
朝鮮学校の掲示板に書いてあったくらいだからね。
まあ、わたしが在日の大人だったら、恥ずかしくて本当の事ないいで子供に言えないけど、
自分達の事実を教えられないって、ある意味可哀想だね。


64 名前: >60! 投稿日: 2000/06/24(土) 11:10
はずかしい!誇るべき過去だよ。
彼らの闘いが現在の在日の地位をかちとってきたんだよ!
しかしまだまだ改善すべき点は数多く残っている。われわれは闘いの中で
処遇改善を達成するのだ!すべての在日は、良心的日本人とともに闘争を
進展させていこう!


65 名前: >64 投稿日: 2000/06/24(土) 12:41
在日の議論を聞いてると、「なぜ今日本にいるのか」について
ごまかしがあるんだよな。だから誰からも相手にされないんだよ。
いいじゃないの。韓国に帰るよりもいい暮らしができるから、父母(祖父母)は
日本に残ったって言ったって。それじゃあ何か都合が悪いの?














262 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/24(土) 20:34
さてさて、これまでのことが、すっかりなくなってしまったで、こ
れでお終いかと思うていたら、わざわざ新しい場所まで用意してく
れたお人がおるようぢゃの、奇特なおかたぢゃ。

せっかくのご好意ぢゃから、もう少し続けようかの。

>ぢーさん、指紋押捺の話はしないノ?
ふぉっ、ふぉ、ふぉ、ふぉ。
ぢぢがなんでその話を先にせんのかと不思議に思うておるのかの。

ま、無理もないことぢゃが、わざわざ、その前にソウルオリンピッ
クの話をするには、ちと訳があるのぢゃ。

オリンピック大会というがの、韓国にとっては国際社会に認知され
るための晴舞台、北朝鮮にとっては、下手をすれば外交的に孤立し
かねない大事件であったのぢゃ。単にオリンピックの開催、という
ことだけではない政治的な意味があったのぢゃよ。

まずの、ソウルオリンピックの前のロサンゼルス大会には、ロシア、
いや、ソ連をはじめとする社会主義国のほとんどが参加せず、その
前のモスクワ大会には日本やアメリカなどが参加していなかったと
いうことを思い出す必要があるの。

2回つづけて、まともなオリンピックにならなんだおかげで、世界
の国々はこんどこそ正常な大会をと望んでおったのぢゃ。

韓国は、この国際社会の雰囲気を最大限に利用しての、オリンピッ
ク開催にあわせて、それまで国交のなかった中共やらソ連などとの
交流やら交渉を活発化させたのぢゃよ。


263 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/24(土) 20:36
すでに、世界は冷戦末期での、経済的な行き詰まりを打開するため
にと、ソ連や中共は成長著しい韓国の経済に目をつけての、すげな
い態度はとらなんだ。

その他の東欧諸国や社会主義国はまだまだソ連や中共に右にならえ
であったから、この2国を落とせば、韓国としては事は成ったよう
なものでの、結果は皆も知ってのとおりの大成功であったのぢゃ。

さて、一方の北鮮はといえばの、はじめは共催を主張しての、一部
の競技を北鮮で実施するよう要求したのぢゃ。
ぢゃがの、建て前とは言え、オリンピックは都市開催ぢゃ、そのよ
うな主張の通るはずもないて。

慌てた北鮮はソ連や中共にボイコットを呼びかけ、その一方で、な
んと大韓航空機を爆破するというテロに走ったのぢゃ。
ばれるとは思っておらなんだのぢゃろうが、いったい、飛行機を爆
破してオリンピック開催の妨害にどの程度、役立つものかの。
(昭和62年、金賢姫によるミャンマー沖上空の大韓航空機爆破事件)

結果として、やることなすことすべて裏目に出て、北鮮はただ一国
だけでオリンピックをボイコットすることになったのぢゃ。
もっとも、おめおめと参加するとは誰も思ってはいなかったがの。

この翌年、ほとんどの日本人は知らんぢゃろうが、北鮮では、オリ
ンピックに対抗するためということで、なんという名前ぢゃったか
の、世界学生青年祭典とかいうものを開催しての、アフリカやら中
南米やらの世界の貧乏国から費用持ちで参加者をかき集めての、た
だでさえ苦しい北鮮の財政事情を決定的に悪化させたのぢゃ。


264 名前: これもぢゃ 投稿日: 2000/06/24(土) 20:38
実は、この世界学生青年祭典には、北鮮支持の在日鮮人も最大限に
動員され、人手も物も金も提供しておっての、仲間内では、自分達
の協力がなくては、この催しも出来なかったろうと自負してはおっ
たが、逆にこの時、韓国との間に決定的な差が付いたことを悟った
者も多いのぢゃよ。

また、世界から集められた参加者もな、一糸乱れぬマスゲームには
目をみはったものの、前年のオリンピックと比較すれば歴然とした
国力、経済力の格差は、はっきりと見てとったのぢゃ。

この、事実上、昭和最後の年の前後を節目にしての、正常な思考の
できるような人間であれば、北鮮をまともに相手にすることはなく
なったと言ってよいぢゃろう。

一方、韓国から見ると、基本的な部分で北鮮の脅威というものはな
くなったとも言えるのぢゃ。ソ連も中共も後ろ楯に付いていない北
鮮などでは、短期決戦ならばともかく、消耗戦に耐えられる戦力は
ないでの。

こうなると、米国と並ぶ国家安全保障上の主要友好国として、自分
達としては多少は遠慮をしていたつもりのあった日本との関係を、
政府も国民も、なにやら、もはや遠慮は無用などと思いこむように
なってきたのぢゃ。
日本人から見ると、韓国やら韓国人がそれまで遠慮をしていたなど
とはとても信じられんことぢゃがの。

この韓国政府の変わり身の最初の標的になったのが、当時、日本国
内で問題になっていた在日鮮人の外国人登録に伴う指紋押捺問題な
のぢゃよ。

はて、また長くなってしまったの、つづきはまたぢゃ。


267 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 01:17
語り部だなあ、毎度しびれるです。


271 名前: 6才児 投稿日: 2000/06/25(日) 06:19
ぢーさん、おかえり。
世界学生青年祭典といえば、ソウルからベルリン経由で
単身ピョンヤン入りした、林秀卿という女子大生がいたヨネ。

あと、ボクの書きこみ、もう一度書いておくヨ。

ぢーさん、指紋押捺の話はしないノ?
昭和57年(1982年)ていうと、外国人登録法改正されて、
指紋押捺開始が14歳→16歳に、切替え3年→5年ごとになった年ダネ

在日外国人に指紋押捺の義務が定められたのは1952年の
外国人登録法の制定がはじまりだヨネ。
でもこの時は強い反対運動があって、実際に施行されたのは
1955年だったヨネ。

その後も地道な反対運動が続けられていたけど、世論はあまり
盛り上がらなくて、一気にそれが動き始めたのが、
1980年代になってからだヨネ。
(韓宗碩氏の東京新宿区役所での指紋押捺拒否が1980年、
1984年に東京地裁が指紋押捺を拒否した韓宗碩氏に「罰金1万円」
の判決、1985年に2万人をこえる在日外国人が指紋押捺を拒否。)

それともこのことはみんな知っているからやらないだけナノ?



273 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 06:29
韓国の指紋押捺の話は?


277 名前: >273 投稿日: 2000/06/25(日) 09:06
鮮人もやってることは同じ。

韓国は、少なくとも在日に対して行っている。
キンキロウはやった。

この点を朝鮮人に追求すると恐らく
「本人がそれでも良いなら問題なし。問題は強制性だ」
とか言いそうだ。
 


278 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 14:22
指紋押捺は、なんかメリットあったのかな
今時は、コンピューター処理で戸籍とかの確認を高速で出来そうだから
たしかに意味自体なくなったのかも知れないけど













281 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/25(日) 21:48
総選挙の結果の行方はまだわからんようぢゃの。

さて、韓国系の在日団体は、昭和30年代までは反共主義でまとま
っておったのぢゃが、昭和40年以降、ことに昭和50年以降は、
1世中心から、2世、3世へと世代交代が進んできて、左翼がかっ
た者も含めて、考え方が多様化してきての、単純に反共一本でまと
まる状況ではなくなってきておった。

そこへ、日立就職事件をきっかけに、新左翼くずれの人権派と結び
ついた組織ができ、これに刺激された形で、本来の韓国系団体の青
年組織も競うように鮮人の権利獲得運動をするようになるのぢゃ。

年金やら、保険やらの扱いを日本人と同じにして欲しいといった鮮
人の要求は、それほどの違和感もなく日本社会の支持もうけて、受
け入れられていったのぢゃよ。
昭和60年頃までには、鮮人の権利要求の対象になるような事項は
大方かたづいておったのぢゃ。

しかし、外国人登録の切換え時の指紋押捺制度については、日本政
府は簡単には譲ろうとはせなんだ。もっとも、人権感覚を尊重して、
簡易な方法に改善することはしたがの。

ほかの制度については、あっさりと受け入れられたのに、なぜこだ
わったのかというとな、指紋押捺問題というのな、簡単に言えば、
スパイ防止政策の問題であったからなのぢゃよ。

ことに、在日鮮人について言えば、北鮮の工作員が在日鮮人になり
すます方法で浸透していたのは周知の事実での、この防止策の一つ
として登録証の切り替え時に指紋を照合できるような制度にしてい
たのぢゃ。


282 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/25(日) 21:48
前にも話したが、日本にはスパイ防止法などという法律はないで、
万がいち、工作員が逮捕されても、出入国管理法違反などで、ほん
の少々服役したら、強制送還といえば厳しいようでも、単に送り返
されるだけぢゃで、スパイとして秘密裏に出国するより簡単に帰国
できるくらいのものぢゃ。

そんなわけで、韓国に潜入するには、日本経由が一番簡単で、また
安全なルートということで、韓国政府は繰り返し取り締まりやら善
処を要求しておった問題ぢゃ。

なにやら、昭和50年代後半には、日本国内で韓国の新興宗教を背
景とする反共政治団体を名乗る団体が、あの手この手で、せっせと
自民党などに食い込んでな、日本にスパイ防止法を制定させようと
暗躍しておったの。
(Link 統一教会に対する裁判を支援する会のHP 勝共連合に関係する国会議員リスト

昭和60年にはとうとう法案提出まで行ったが、そのまま棚ざらし
のままで成立はせなんだ。

あまり、この法案の背後に韓国の匂いがするのもので、なにも、鮮
人同士の角突き合いのために日本人が息苦しい思いをすることもな
かろうという気運になったもの一因ぢゃて。

さて、実際には昭和の50年代末には、指紋押捺制度については、
あまり露骨な方法を取らずに、方式を簡略化するという方向で制度
改正が進めれての、韓国からもそれで良いという返事が来ておった
ものぢゃ。

ところが、大統領が全斗煥から盧泰愚に代わると、韓国政府は態度
を変えて、在日鮮人を焚きつけるようなことを言い出したのぢゃ。


283 名前: これもぢゃ 投稿日: 2000/06/25(日) 21:49
びっくりしたのは日本政府ぢゃよ。そもそも、いったい何のために
冷戦開始後に反対運動をねじ伏せてまで指紋押捺制度をつくり、維
持しておるのか、と韓国政府に言いたいところぢゃが、関係者は皆
心得ていることでも、これがスパイ対策と日本国内では正面から説
明できるものではないで、大いに困惑するはめになるのぢゃ。

平成に年号が代わって1990年、平成2年に盧泰愚大統領が日本
にやってくるのぢゃ。勿論、例によって借金をしに来るのぢゃが、
ぢぢの記憶では、この時は事前に日本からの借款額の折り合いがつ
かぬままの来日という異例の事態であったの。

このため、この来日の前後の日韓の駆け引きでは、植民地支配への
謝罪の仕方がどうのとか、在日鮮人の処遇がこうの、とか本来なら
裏方で調整するようなことが、交渉材料になったのぢゃ。

結局、日本政府は鮮人の処遇に関する韓国側の主張、つまりは在日
団体の主張をほぼ丸呑みするのぢゃよ。別に損するわけではないで
の。借款額の話は別ぢゃ、こちらは、財布の中身の話ぢゃで。

またの、この時、大統領が代わるたびに何度でも謝罪を要求するの
かと、鼻白んだ日本人も多くての、オリンピックで少々韓国に好意
的になっていた世論も冷え込むことになるのぢゃ。

このあと、強硬だった日本政府の方針を、自分達の運動が押し切っ
たと思うた連中は、このあと、今度は戦後補償要求と言うて、日韓
条約で決着済みの個人補償の要求を持ち出し、前にも話した傷病兵
の件や皆もよく知っておる慰安婦の騒動がはじまるのぢゃよ。


284 名前:>277投稿日:2000/06/25(日) 23:07
韓国では、17才以上の国民は「住民登録証」を発給してもらうに
なり、ここに指紋を押すことになる。で、これが身分証明書となる。
この住民登録は韓国国民でなくても、韓国に30日以上暮らす予定なら、
14日以内に登録しないといけないもの。

住民登録証は、名刺なみの大きさで、表には写真、名前、住民番号、
本籍(親の戸籍があるところ)、住所、戸主(本籍の世帯主の名前)、
そして兵役に関する内容が書いてあり、その裏には変更された住所と
特技番号(軍隊で与えられた特技を4つの数字で表示)そして指紋が
ついている。指紋は親指のもの。

どうしてこんなに厳しい住民登録制があるかというと、北朝鮮からの
スパイ対策という面と、韓国人男性には兵役という義務があって、
兵役対象者を管理する必要があるし、おまけに、
兵役義務終了後も、予備軍というの名目で軍事訓練を受けなければ
ならないので、訓練の通知のためなどの理由で住所などを、常に
確実に把握しておかないとならないので。

たしかに、韓国の17才以上の人間のすべての指紋データーを
警察が持っているから、指紋さえあれば犯人が誰かすぐ分かるという面も
あるんだけど、別に犯罪の防止の目的で住民登録とか指紋押捺を
しているわけではない。

291 名前:李一投稿日:2000/06/27(火) 16:56
>285
外国人に指紋押捺の義務化がなされたのは1956年の外国人登録法改正によって。
それまでは何度か法案に指紋押捺義務を盛り込もうとしていたが
朝鮮人のはげしい反対にあって実行できなかった。
金嬉老事件があったのは1968年だから、金嬉老自身10指指紋
を取られていてもおかしくはない。後に10指指紋は1指に改められる。
指紋押捺義務に対して朝鮮人を中心としたよる押捺拒否闘争が
展開され、87年には指紋押捺が原則一回限りとなり、92年には
永住者と特別永住者は指紋にかえて署名と家族登録になった。
99年の法改正によって2000年4月から指紋押捺が全廃されている。


294 名前:>291投稿日:2000/06/27(火) 17:06
http://www.kcn.ne.jp/~ca001/D26.htm
> 殺人の罪などで無期懲役に服していた、在日韓国人金嬉老が仮出獄し、9月7日韓国の釜山に「帰国」しました。新聞報道(9月8日の読売新聞、産経新聞)を見ると、地元釜山市での住民登録のために、壇上で若い女性に手を取られ、両手の指紋押捺をしています。司会者が「これで釜山市民になりました」と披露したことも報道されています。

> 在日韓国人は外国人登録法に基づく指紋押捺に強硬に抗議していました。彼らも、日本の支援者も指紋押捺は人権侵害だと言っていました。韓国政府も日本政府に対して指紋押捺をやめるよう要求していました。それなのに、自分たちは指紋押捺をしているというのは一体どういうことでしょう。しかも、公衆の面前でセレモニーのごとく行っていたようです。日本の指紋押捺は人権侵害で、韓国の指紋押捺は人権侵害にはならないのでしょうか。

> 日本の新聞は、指紋押捺制度をめぐる議論に於いて、韓国では指紋押捺制度があると言うことを何故報道しなかったのでしょうか。国民がその当否を判断するにあたり、重要な情報であったと思います。

あれ?

296 名前:>291投稿日:2000/06/27(火) 17:14
>       韓国では出入国管理法(1977年法3044、78年4月
>       1日施行)第31条によって、14歳以上で1年以上滞在す
>       る外国人には十指の指紋押捺を義務づけています。従って、
>       その限りでは、在韓日本人も在日韓国人もともに指紋をとら
>       れるので“おあいこ”ということになるのでしょう(他の人
>       からの手紙にあったのですが、日本は「一指」だけど韓国は
>       「十指」なので、日本の方がまだましだということもできる
>       でしょう)。
>
>        『指紋押捺拒否者への脅迫状を読む』明石書店
>          3、世界でも“特異な”日本の制度(田中宏)より

あれ?
相互主義って何?



300 名前:284and285投稿日:2000/06/27(火) 23:10
質問に答えてくれた人達、ありがとう。
総合すると、

韓国に30日以上暮らす予定の外国人なら、韓国の住民登録法にもとずいて、住民登録証に親指の指紋押捺をおこなう。

韓国に、14歳以上で1年以上滞在する外国人なら、韓国の出入国管理法の第31条にもとづいて、十指の指紋押捺をおこなう。

(ここでいう外国人とは在日韓国人だけでなく、アメリカから来た人間とかも含むのは言うまでもない。)

金嬉老は今後、釜山で余生を送るので、韓国の出入国管理法の第31条にもとづいて、十指の指紋押捺をおこなった。

ってことですね。

406 名前:>あこ投稿日:2000/07/10(月) 04:29
>私は在日ですが、外国人登録に付き合って役所に行ってくれた日本人の友人
>がいます。その現場を見たら北朝鮮のスパイを見つけるために「私」が指紋
>を押すということや韓国がしているから韓国籍の私がしないといけないとい
>う理由をつきつけることはできないでしょう。日本に住んでいるあなたたち
>がしなくてもいいように。

まさに典型的な在日理論。
在日が指紋を押捺しなくなることにより、他者が不利益をこうむることを全く考慮していない。
北朝鮮のスパイを見逃したら?
原発にミサイルが飛んでくるかもしれない。
韓国にいる日本人が指紋を押捺されるのはOK?
そのくせ、指紋を押捺される私の姿はあまりにもみじめで、誰もがやめさせたいと思うに違いないなんて勘違いをしている。
まさに在日。


532 名前:名無しさん@1周年投稿日:2000/07/26(水) 23:50
雨かショポショポふるパンに
カラスのマトからのそいてる
満鉄の金ポタンのパカ野郎

さわるはコチシェン見るはタタ
シャンエンコチシェンくれたなら
カシワの鳴くまでポポしゅるわ

お客しゃんこのころ紙高い
チョウパの手前もあるてしょう
コチシェンしゅうきをはちみなしゃい

そしたら私はたいて寝て
ふたちもみっちもおまけして
カシワの鳴くまでつきあうわ

ちょいちがうかもしれん、うろ覚え〜 この歌の作者が知りたい〜
ぢぢさま、御存じないですか?

533 名前:ぢぢ投稿日:2000/07/27(木) 22:41
>532
>そしたら私はたいて寝て
>ふたちもみっちもおまけして
>カシワの鳴くまでつきあうわ
>
>ちょいちがうかもしれん、うろ覚え〜 この歌の作者が知りたい〜
>ぢぢさま、御存じないですか?

ふむ。
たしか、この歌は「日本春歌考」という映画の中で、繰り返し
使われておったの。

鮮人娼婦を歌ったものぢゃろうが、ぢぢも作者は知らんの。
そもそも、春歌に作者と呼べる者がおるものなのかのう。


536 名前:532投稿日:2000/07/27(木) 23:21
そうです!!! その映画の中で使われていたとか聞きました〜
あの監督の映画はつまらんので、見たことないのですが〜
なんか、歌だけ気に入りました〜
ふう、そうですか、春歌に作者はないですか〜
鮮人娼婦が作ったのなら、なかなかすごい才能だなあ、
と思ったのですが、やはり、日本人なんでしょうねえ〜
戦前の日本人って、鮮人になったつもりで、
上手い詩とか作る人が、いたりしたみたいですからねえ〜

538 名前:訳してみました投稿日:2000/07/28(金) 06:28
-------
雨がショボショボ降る晩に
ガラスの窓から覗いてる
満鉄の金ボタンの馬鹿野郎

さわるは五十銭見るは只
参円五十銭くれたなら
鶏(かしわ)の鳴くまでボボ(おめこ)するわ

お客さんこの頃紙高い
帳場の手前もあるでしょう
五十銭祝儀をはずみなさい

そしたら私は抱いて寝て
二つも三つもおまけして
鶏の鳴くまで付き合うわ
-------

けなげです

542 名前:532投稿日:2000/07/28(金) 20:01

間の一節、思い出しました。

上かるの帰るのとうしゅるの
早く精神ちめなしゃい
ちめたらケタ持て上かんなしゃい

メロディをつけて聞くと、これ、
ほんとうに、いい歌なんです。

反日捏造の歴史ではなく、
戦前の朝鮮半島や満州のほんとうの姿を、
もっと、知りたいものです。
ぢぢさま、またお話してください〜



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[質問]戦前の在朝鮮、在台湾の国民の権利

1 名前:名無しさん投稿日:2000/05/25(木) 17:58
日本の選挙制度は明治22年に始まり、大正14年からは、
選挙権の納税条件が撤廃されているんですが、
当時支配していた、朝鮮系及び台湾系の国民に、
選挙権、被選挙権は有ったのでしょうか?


3 名前:1投稿日:2000/05/25(木) 18:11
>当時支配していた、朝鮮系及び台湾系の国民に、
表現が変ですね。訂正します。
訂正
当時の日本国民である朝鮮系及び台湾系の人々に







9 名前:ぢぢ投稿日:2000/05/25(木) 21:01
>1

はての、そのやうな昔のことを聴いてどうするおつもりぢゃ。

ま、知りたいというのならばこのぢぢいが説明してしんぜよか。

むかしはの。在地主義だったのぢゃ。

つまりの、外地にすんでおれば選挙権はなく、内地におればあった
のぢゃ、

これでよいかの。


11 名前:ダライバートル投稿日:2000/05/25(木) 21:36
地方議会のことは知らんけど、帝国議会の選挙権・被選挙権は最後
までなかったはず。
そのかわり徴兵制も敷かれていなかったとおもう。
台湾・朝鮮半島は施行される法律の中身も違う。
樺太・北海道・沖縄は「内地」扱い。

12 名前:1投稿日:2000/05/25(木) 21:41
皆さん、レスありがとう、場違いな質問しちゃったかなと心配だったもので・・・

>8さん
>いくら2chだからって2時間やそこらでレスを期待するのは
>厳しいぞ(笑)
ごもっともでございます。

>ぢぢさん
>むかしはの。在地主義だったのぢゃ。
>つまりの、外地にすんでおれば選挙権はなく、内地におればあったのぢゃ、
ということは、内地に居住していれば、朝鮮系の方にも選挙権があり、
日本人でも、外地に居住していると選挙権は無いという事ですか?




13 名前:ぢぢ投稿日:2000/05/25(木) 21:56
>12

そうじゃ。

ただし、いまでもそうぢゃろが、住民登録というか選挙人名簿への
登録は必要ぢゃぞ。

なんという名前ぢゃったかの。たしか、朴琴春という鮮人の代議士
が現に東京の何区だったかから当選しておったはづぢゃ。

(昭和7年・12年 衆議院東京第四区、朝鮮人の貴族院議員もいた)


14 名前:ぢぢ投稿日:2000/05/25(木) 21:56
>12

そうじゃ。

ただし、いまでもそうぢゃろが、住民登録というか選挙人名簿への
登録は必要ぢゃぞ。

なんという名前ぢゃったかの。たしか、朴琴春という鮮人の代議士
が現に東京の何区だったかから当選しておったはづぢゃ。

15 名前:投稿日:2000/05/25(木) 22:38
>ぢぢさん
ということは、内地で住民登録していれば、国政への参政権を持たんですね。
あと、朝鮮や台湾の地方行政府に地方議会はあったんでしょうか?
あったとすると、その地方議会の参政権はあったんでしょうかね?


16 名前:ぢぢ投稿日:2000/05/25(木) 23:00
>13、14
おやおや、そそうをしてしもうた。
手がふるえるで、2度押してしもたかの。

>15
さての〜、どうじゃったかの。
ま、若い衆が考えておるよな地方議会はなっかたのはたしかぢゃ。

>11
樺太が内地扱いになったことがあるなんぞ、新聞を良く読んでおっ
た者くらいしか気がつかんに、よく知っておるな。
ぢゃが、樺太選出の代議士はおらんの。

>そのかわり徴兵制も敷かれていなかったとおもう。
いやいや、お若い方、朝鮮にも徴兵制は敷かれたのぢや。
昭和18年の春のことぢや。
もっとも、朝鮮軍に入営はしたが出征せずじまいぢゃったがの。

18 名前:1投稿日:2000/05/26(金) 08:55
ぢぢさんありがとうございます。

>ま、若い衆が考えておるよな地方議会はなっかたのはたしかぢゃ。
それは、今の地方議会とは、違うと言う意味なんでしょうか?
当時の地方議会がどんなものかも良く知らないんですが、
内地でも同じだったのでしょうか?


19 名前:ぢぢ投稿日:2000/05/26(金) 12:22
>18
まずは、内地の地方議会の話が必要ぢゃな。

市町村議会というのがあっての、これは今と同様に選挙で議員を決めた
のぢゃ。

次に、府県議会というのがあっての、これは市町村議会から間接選挙で
議員が出る仕組みでの。

ついでに言うとくとな、市町村長も同じぢゃ。

府県知事は選挙ではなく、任命制だったのぢゃよ。

でな、このような地方議会は外地にはなかったのぢゃ。

ぢぢがあいまいなことを言っておるのはな、台湾や朝鮮の総督府が、議
会らしきものを置いたとか置こうとしたという話を聞いたような記憶は
あるのぢゃが、結局どうなったのかを知らんからなのぢゃ。

どっちにせよ、この議会はな、選挙によるものでもなく、予算の審議権
もないものでの、今の考え方では到底、地方議会とは呼べないものぢゃ
った。

そういうことなのぢゃ。

20 名前:投稿日:2000/05/26(金) 15:16
ぢぢさん、勉強になりました。
ありがとうございました。


21 名前:ぢぢ投稿日:2000/05/26(金) 21:03
>ぢぢさん、勉強になりました。

なんの、なんの。

おやすいごようじゃて。
こんな年よりの昔話でよければ、いつでも聞いて下され。

ただの、そろそろボケが入ってきたでの、何かおたずねなら、
いまのうちかも知れんぞ。

ふぉっ、ふぉ、ふぉ、ふぉ、ふぉ。





▼編集前の全文を読む
☆☆洪思翊日本軍中将☆☆
1 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/10/20(金) 23:39  
洪思翊さんという朝鮮人の日本軍中将がいたそうですね。
それと、靖国神社の博物館に行きましたら、卓さんという特攻隊員が奉られていました。
旧日本軍への半島出身者の係わり方はどの様だったのでしょう。

彼らは敗戦で戦犯としてどのように扱われたのでしょうか。

(洪思翊=こうしよく )


2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/10/20(金) 23:44  
東京裁判で死刑になった日本軍のB,C級戦犯は1061人いるが、
そのうち朝鮮人は23人いる。もちろん1061人のなかに台湾人もいる。

洪思翊中将は。。。わからん。


3 名前: 名無しさんの声 投稿日: 2000/10/20(金) 23:51  
>>1
太平洋戦争当時日本軍として参加してた朝鮮人はすべて士官でした。
末期になって徴募兵として戦った人たちもいたようですが。












5 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/10/21(土) 00:07  
>>3
これこれ、あやふやな知識で、もっともらくし断言してはいかんぞ。
昭和18年まで、外地には徴兵制度が適用されなんだから、実際に戦
地におった朝鮮人兵士は志願兵であったということで、全員が士官な
どということはないの。
徴兵制が敷かれたのち、朝鮮人が入営した当時の朝鮮軍は朝鮮南部に
駐屯しておったから、出征はしておらんし、戦闘にも参加しておらん
よ。ま、空襲などは受けただろうがな。


6 名前名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/10/21(土) 00:11
結局、姓を変えたのか、変えなかったのかどっちなんだ?
変えなかったという説が多いが、こう書いているところもあるし。
http://www.geocities.com/Tokyo/Towers/6057/fnetd12.html

(リンク先一部転載)

「洪思翊」中将は創氏改名をされなかったと考えておられるのでしょうか?
法規上は洪思翊中将も「創氏」を行ったことになっています。すなわち、
姓名が洪思翊であったのが、新たに創氏の法規(制令第19号)が
強制的に適用され、氏名が洪思翊になったと考えられます。
何が変わったのでしょうか?
クイズみたいな話になりますが、洪という「姓」がなくなり洪という「氏」が
強制的に創られました。実質は何も変わっていないようにみえます。
これは洪思翊中将が男性なので結果的には世間的な個人名は変わり
ませんでした。
しかし、既婚女性の場合は事情が違います。洪思翊中将の奥さんが仮に
いたとしてかつその人が韓国人であったら、本来の自分の姓、たとえば
「金」から法的に強制的に夫の氏の「洪」にさせられました。したがって
「創氏」は自発的であれ強制的であれ100%完全実施されました。


12 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/10/21(土) 00:25

>6さん うかつでした。洪の姓で中将であれば日本名になってないですね
     不思議です。


.
14 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/10/21(土) 00:30
>>6
さてさて、鮮人のこねくり回した屁理屈に混乱しておるようぢゃの。

結論から言うとな、洪中将は姓を変えてなどおらんよ。

例の創氏改名が法による強制であったという鮮人どもの馬鹿げた形式
論理に騙されておるのぢゃ。

つまりの、洪思翊中将のように姓が「洪」で名が「思翊」であったの
に対して、創氏改名というのは新たにそれまで無かった氏を家単位で
創るようにという「創氏」と氏を日本風にした場合に名がつりあわな
いような場合のことを考慮して、名を変更してもよいということであ
ったのぢゃ。

で、この「創氏」は一率に実施された、形式的に言えば強制でな、改
名の方は変更してもよいが、その場合は手数料ぢゃった。
そして、一定期間内に新たな「氏」の届け出がなければ、姓をもって
氏とする制度であったのぢゃよ。

洪思翊中将のように、届け出を行わなかった場合は、姓(これは慣習
的なものとして存続したのぢゃ)は「洪」で氏も「洪」名が「思翊」
となったわけぢゃ。

ちなみに、届け出は強制ではないぞ。ただ、半島におった鮮人の8割
は日本風の氏を届け出たというのが歴史上の事実での、鮮人どもとし
ては、なにがなんでも強制ということにしておかねば、面目がたたん
のぢゃろうて、届け出なんだら、自動的に姓が氏になることをもって
強制ぢゃったと強弁しておるのぢゃ。

なんとも、おかしな理屈ぢゃの。


15 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/10/21(土) 00:30
この人は日韓併合のちょい前に
韓国の武官学校に入学して併合後は陸大(エリートコースです)
に進み、昭和19年に中将に昇進。フィリピンに派遣されました。
もちろん韓国出身の「大日本帝国軍人」としてです。

で、なんとこの人のちに捕虜の処遇に関して軍事裁判にかけられ、
連合国側に戦犯として処刑されてしまうのです。


16 名前: 3 投稿日: 2000/10/21(土) 00:31  
なんでデタラメなのよ。
太平洋戦争末期まで朝鮮人の徴兵はなくて、太平洋戦争初期の軍隊にいた
朝鮮人は全て士官学校卒の士官だったってことだよ。



17 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/10/21(土) 00:32
>7
「洪思翊中将の処刑」は文藝春秋、昭和61年刊です。
ちなみに山本七平ライブラリー(同じく文藝春秋)第8巻にも所収しています。


.
19 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/10/21(土) 00:54  
>>16
さてさて、徴兵された者以外は、士官学校卒だと信じておるのか。
どこから説明すればよいのぢゃ。

そもそも、士官はすべて士官学校卒だとでも思っておるのかの。
志願兵制度についても知らんのかの。
困ったのう。

半島から軍に入るには、一つには士官学校を目指すことぢゃが、これ
は今でいえば甲子園に出場して東大野球部をめざすのと同じくらい大
変なことでの、鮮人の士官学校出はおったぢゃろうが、数は多くはな
いぞ。

また、大学や専門学校などから志願した者は、幹部候補生を経て、士
官となる途があったが、軍隊の中では幹候と士官学校出では大きな違
いがあったのぢゃ。

多くは、兵卒として志願したのぢゃが、これとても大変な難関での、
競争は激しかったのぢゃ。まして、航空兵などともなれば、すぐにも
下士官になれるエリートコースであったからの。

そうでない、一般の兵卒は捕虜収容所などに配置されての、正直なと
ころ、前線の戦闘部隊では鮮人の兵士は多くはなかったのぢゃ。




20 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/10/21(土) 01:06  
ジジ様でしょう、何時も勉強させて頂いてます。

>捕虜収容所などに配置されての
テ事は下働きですか、戦後日本軍の捕虜の扱いは国際的に問題になりました。
そのトバッチリを半島出身兵士が受けた事にはなりませんか。


.
22 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/10/21(土) 01:34  
>>20
>テ事は下働きですか

輜重兵を下働きというのは、ちと言い過ぎぢゃと思うがの。
たしかに、戦闘部隊の歩兵、砲兵などからは「輜重兵が兵隊ならば、蝶々
トンボも鳥のうち」などと揶揄されてはおったが。
(輜重=しちょう)

兵站というのは、軍にとって大切な任務ではあるのぢゃ。
旧軍では、兵站を担当する部隊、兵士を輜重と呼んでの、捕虜収容所の運
営も輜重部隊の管轄ぢゃて。

そうそう、そもそも洪思翊中将はその輜重部隊の親玉ぢゃったで、戦犯に
指定されてしまったのぢゃ。これはある意味でとばっちりぢゃの。

ぢゃがの、鮮人兵士の多くが輜重部隊に配属されたには、訳があっての、
単に差別されていたというようなことではないのぢゃよ。

また、大きな声ではいえんが、旧軍の古兵や下士官、人によっては士官も
含めて、すぐにビンタを飛ばす暴力的な風潮があっての、もちろん個人差
はあるが、立派な帝国軍人たろうとする半島出身者は余計にその風潮が強
い傾向があったことも否定できんのぢゃ。

BC級戦犯に指定された兵や下士官は、監督責任ではなく、暴力行為や虐
待の実行行為を特定されて裁かれておるのぢゃよ。



24 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/10/21(土) 01:47
ジジ様の論陣は何時もウ〜ンと納得します。99%はそうであったろうと
私は納得します、本当です。

あえてジジ様に嫌われても突っ込みます、願わくは可愛い弟子だと思ってください。
>訳があっての←訳とはなんでしょう。


.
25 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/10/21(土) 02:22  
>>24
>訳とはなんでしょう。
お若い方には、旧軍の仕組みについての知識は無いものと考えたほうが
よいぢゃろうの。

日本軍の戦闘部隊の根幹をなすのは、歩兵連隊、砲兵連隊なのぢゃ。新
兵が入営して、内務班で生活を共にし、訓練を受け、連隊旗のもとに命
令があれば全滅するまで戦うという、生死を共にする集団が形成された
のぢゃよ。

それが良いか悪いかなどというのは、戦後の価値判断での、戦前・戦中
は連隊の名誉のために命を懸ける兵士というのは当たり前の存在であっ
たのぢゃ。

そしてな、連隊というのは地域ごとに編成され、大阪8連隊、京都9連
隊というように、都市の名をかぶせて同郷の出身兵士によって構成され
ておっての、旧軍はこの原則を最後までくずそうとはせなんだ。

つまり、連隊は郷土の名誉も担っているという形で、それぞれその精強
さを競うようになっていたのぢゃ。この連隊を単位として旅団、師団な
どが編成されておった。

出身地の異なる少数の半島出身兵士には、航空兵などの特殊兵科を除け
ば、編入する先の連隊がなかったのぢゃ。このために、輜重部隊といっ
た後方部隊や補助部隊への配属が多くなったのぢゃよ。


30 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/10/21(土) 04:50  
またも負けたか八連隊これでは勲章九連隊

34 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/10/21(土) 07:57
>25 ジジさま、
   朝鮮人兵士に銃を持たせると、反乱の恐れがあるから捕虜の監視をさせた、
   などの声を聞くこともありますが、一応はそうではなかったわけですか。

   特攻隊に朝鮮人隊員が居たのは、そういうことだったのですか。


35 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/10/21(土) 08:17
>またも負けたか八連隊これでは勲章九連隊

おおおぉっ!久しぶりに聞いた。親父が酔っぱらっていってた。
関係ないけど「のーてんふぁいる」ていうのもよく使ってたな。
中国語の「脳天壊了」。海軍でも使われていたんだろうか。

ぢぢ様、まさに蒙を開かせていただいております。
(独り言:それにしても生き字引だね。感服するわ。)


78 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/10/31(火) 22:30  
日本軍は、ある意味多国籍軍の要素もあったように思います。
台湾の高砂族は優秀な日本軍兵士であったと聞きます。
インドは無抵抗主義のガンジーが世界的に有名ですが、
日本が軍事指導したチャンドラボースの軍もあったと聞きます。

このあたりの真実をジジ様にご指導をお願いします。
                   


79 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/10/31(火) 22:36  
朝鮮人の特攻隊員はどの位居たのでしょうか。
この事も知りたいです。

卓(光山)中尉しか靖国神社に奉られていませんが、
一人しか居なかったのでしょうか。


80 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/11/01(水) 20:22
私のおじさんは高射砲兵になるといって帝国陸軍に志願したそうですが、
内実は特攻隊員にまわされると言ったことが噂され、父によって逃がされ
たそうです。
当時そのように戦争に帝国臣民として協力するのはしょうがないと思いますが、
いまだに朝鮮、韓国人を見てチョンとか言っているのを聞くと、なんだか
差別って消えていないのねと思います、まぁいいけど、慣れっこですから。


.
83 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/11/01(水) 21:08  
>>78
はての、なにが知りたいのぢゃな。
何度もいうとるが、わしはただの老いぼれぢゃよ。軍から見れば
一介の地方人ぢゃて、帝国陸海軍の内情など、当時ならば誰もが
常識として知っておったような、とおりいっべんのことしか知ら
んのぢゃ。

ま、当時は誰もが知っておったことでも、戦後になってからは、
あれもこれもなかったことになっておる話は、たしかにあるでの、
そんな話でもすればよいのかの。

ただの、最初に言うておくが、大日本帝国はとことこんまで負け
たのじゃよ。これだけは忘れてはならぬぞ。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」ということわざを知らんかの。

しょせん、戦争に正義などありはせんよ。いまさら、あれは正義
の戦いであったなどと主張しても、それは負け犬の遠吠えという
ものぢゃ。

さて、たしか、昭和18年も終わり頃に東京で大東亜会議という
のが開かれたと記憶しておるの。

チャンドラ・ボースのインド独立亡命政府も参加しておったな。
ほかには、南京政府の汪兆銘や満州国の代表、フィリピンやタイ
それからビルマの代表も参加しておったかの。

日本軍に投降したインド独立派の兵士は、ボースに指導されて、
インド国民軍というのを作って戦闘に参加したはづぢゃ。


84 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/11/01(水) 21:10
しかしの、お若い方には理解しにくいかもしれんが、戦前に亜細
亜の独立国といえば、日本のほかにはあまり実のある独立国はな
かったのぢゃよ。

タイが戦前からの独立国であったが、列強の力関係の中で綱渡り
のように名目的な独立を保っていたにすぎんでの。

支那とて、租界やらなにやらで半植民地状態であったのぢゃ。
それに、支那の国民党軍はそれなりの戦力を持っておったが、日
本と協調して南京政府をつくった汪兆銘は、結局、国民党軍の協
力を取り付ける事ができなんだでの。

ぢゃから、日本人は前の大戦、当時は大東亜戦争と呼んでおった
が、これが、追い詰められて起こした戦争とはいえ、白人支配の
世の中を変える戦争であるとは、認識しておったが、亜細亜の同
盟軍といっても、傾きかけた戦局に影響のあるような戦力を持っ
た独立国があったわけではないぢゃ。

みな、亜細亜の諸民族の連帯だのという建て前や精神面はともか
く、実際の戦力として、あてにしてはおらなんだよ。

それとな、台湾の熟蛮の兵士ぢゃが、これは同盟軍などではなく、
帝国陸軍、日本軍の兵士ぢゃよ。
たしか、台北と台南に現地人の歩兵連隊があったはづぢゃ。
(熟蛮=じゅくばん=台湾総督府の施政方針に順応した原住民のこと)

もともとは、通常の歩兵連隊とは別枠の治安維持用の連隊で、台
湾歩兵と呼ばれておったが、先の大戦では南方に出征したぢゃろ。


85 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/11/01(水) 21:11  
>>79
残念ぢゃが、それについては知らんの。

そのお方のことも知らんが、そもそも航空兵を志願するような半
島出身者であれば、日本風の氏名を名乗っておったことぢゃろう
し、当時の日本風の氏名は通称ではなく本名ぢゃでな、区別はつ
かんよ。

話題になったのは、戦後も親日派が糾弾されるような時代になっ
てから親族(親御さんやご兄弟ではなかったの)に遺品を引き渡
す段になって、韓国政府が介入して拒否した例があるくらいぢゃ
の。

両親が存命であれば、戦時中か戦後まもなくにそっと引き取った
であろうから、表に出ることもなかったろうて。


86 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/11/01(水) 21:13  
>>80
まったくもって、けしからんことぢゃの。

ぢぢが謝って気の済むことであれば、幾重にも謝ろう。

まことに、あいすまぬことぢゃ。


90 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/11/01(水) 21:49  
>1です じじ様再びお会いできて嬉しく思います。
あの当時南方の島々まで、戦線を広げるメリットがなにかあったのでしょうか。
今なら岩礁一つでも領土であるなら、200海里の水域の利権はありますが
南方のジャングルの島々が日本の資源確保にはならないように思います。
北方のアリュウシャン諸島なら漁業資源がありそうですが・・・・・・

私の義父は、海軍でしたが乗る軍艦もなくなり陸戦隊に配属され、ニュウギニアで
それは大変な飢餓状態の負け戦で、とても此処では書けない○○まで食べたそうです。


.
93 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/11/01(水) 22:05  
>>90
ふぉ、ふぉ、ふぉ。
まことに礼儀正しいお人ぢゃの。
ぢゃが、そんなに堅苦しくなることもあるまいて。

>あの当時南方の島々まで、戦線を広げるメリットがなにかあったのでしょうか。
はて、ABCD包囲陣というのをご存知ないか。

日本が戦争にまで追い詰められたのは、石油の禁輸によるのぢゃ。
石油が欲しかったのぢゃよ。

それと、ゴムやポーキサイトの戦略物資を押さえたのぢゃ。

当時、日本本土や台湾、朝鮮、南洋諸島、日本が勢力圏としていた
満州や支那では石油が採れなかったのぢゃ。

満州で石油が発見されたのは、戦後もずいぶんと経ってからのこと
ぢゃでの。

>私の義父は、海軍でしたが乗る軍艦もなくなり陸戦隊に配属され、ニュウギニア
なんとなんと、大変な目におうたことぢゃろうて。
いやいや、ご苦労様なことぢゃ。しかし、生きて復員されたのであれば
不幸中の幸いということぢゃの。





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